1世紀は、100年。

 

 

 

大正に生まれ、昭和、平成、令和。

 

 

大正は、15年(あってる?)

 

昭和は、63年(64年?)

 

平成は、31年(だよね?)

 

 

とてつもない年数。

 

とてつもない経験値。

 

 

 

 

 

ゲームで言ったって、

レベル100なんて結構な高さ。

 

 

 

 

 

 

改めて、すごいな。って実感してるところです。

 

 

 

 

 

 

東日本大震災が起きた日、

怖くて、食欲もなかったあたしに、

こういう時こそ、ちゃんと食べなくちゃ。

そう言って、ご飯を食べる姿に、

強さと安心感を感じたのを、

今でも、鮮明に覚えてる。

 

 

 

どんなに心配で、どんなに不安だったか。

 

そこを機に、耳が遠くなったのが、

その証拠だと思う。

 

だけど、あたしを安心させるための

強がりだったのかもしれないと思う。

 

 

 

気が強くて

 

負けず嫌いで

 

だけど、優しくて

 

恥ずかしがり屋で

 

感情を表に出すのがとても苦手で

 

そして、

 

自分のことよりも家族のことを

いつも考えてくれていた。

 

 

 

 

去年の10月31日に

あたしを見送った後に倒れ、

 

コロナ禍のせいで、

面会なんてほぼないに等しく、

 

転院した11月下旬

偶然面会できた3月下旬

電話で話せた5月中旬

 

 

 

 

入院してから、たった2回しか、

顔を見ることができなかった。

 

どんなに寂しかったか。

どんなにつらかったか。

どんなに家が恋しかったか。

 

それを考えると、今でも、

涙が出てくる。

 

 

 

3月1日の誕生日に、

チョコプリンを差し入れして、

美味しいって笑顔で食べてたと聞いて

涙が出そうになったのが、

昨日のようで・・・

 

 

 

 

 

8月28日に、おばぁちゃんが旅立ちました。

 

 

 

 

おじいちゃんの月命日の日。

おじいちゃんの37回忌の法要が

終わって、4か月後。

 

きっと、おじいちゃんが、

迎えに来てくれたのかな。

って思えるほどの晴天。

 

 

 

病院からみた空が忘れられない。

きっと一生忘れることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

すごく、天気がよかった。

その日から1週間晴天は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみに暮れる父。

 

だけど、悲しみに浸る時間すら

確保できないほど、慌ただしい中、

使い物にならない父のかわりに、

あたしが、動くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

母親を、亡くしたんだから仕方ない。

そう自分に言い聞かせて、

できる限りのこと、いや、

やるべきこと全て、自分がこなす覚悟の元、

行動していた。

 

 

まぁ、いろいろグチはあるよね。笑

これは、またそのうち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんと、写真でもわかるほど、

まぶしい空だったなぁ。

 

 

 

忙しい中、たくさんの人が来てくれて、

涙を流してくれて、

顔を見て、キレイだと言ってくれた。

 

ありがたい。

 

 

ありがとうございます。と、

人生でこれほど言った1週間は、

ないんじゃないかというくらい、

あたしは、ひたすら

来てくれた方へ、お礼を伝え続けた。

 

 

生きていくうえで、

ありがとう。が一番大切なのかもな。

って、思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

病院から電話が来て、

駆けつけ、

おばぁ!おばぁ!!

って呼びかけても、もう反応はなく、

そのあたりに、心停止。

 

 

おばぁ、頑張ったね。

って言葉が出てきた。

 

 

 

 

いつも、おばぁちゃん頑張るから。

おばぁちゃん頑張るからね。

 

そう言い続けてたおばぁちゃんが、

頑張るのを終えた日。

 

なんか違うな

頑張りきった日。かな。

やり切った。

生き抜いた。

っていう表現が、合うような気がする。

 

 

 

 

 

今まで、頑張ってくれてありがとう。

本当にありがとう。

 

 

あたしにとっては、

母親代わりではなくて、

まぎれもなく、あなたは、お母さんでした。

 

それを、伝えることができなかった。

それが悔やまれるけど、

伝わっていてくれると信じて、

 

いつもすべてを受けいれ、

前だけを向いて生きていたおばぁ。

 

あたしも、そんな風に、

強くなれるかわからないけど、

強く生きられるように

頑張ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

祭壇には、お願いして、

おばぁちゃんが作った和紙人形を、

飾ってもらいました。

 

 

自分の作品で、

自分の祭壇を華やかにして・・・

最後まで、本当に手のかからない人で、

本当に、人に迷惑をかけることのなかった

強い人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

棺には、大好きだったチョコを。

 

今頃食べてるかな?

もう食べ終わっちゃったかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おばぁちゃんに教えてもらったことが、

身についている。

 

おばぁがこうしてたな。って思い出しながら

行動をしてる。

 

おばぁは、あたしの中に生きてる。

 

そんな風に思える。

 

 

 

 

 

 

 

一つ一つ、おばぁの為に、

してあげられることが、

減っていくのが寂しいけど、

滞りなく、進めることが、

自分の役目だと思って、

今は、ただ頑張るのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、やっぱり、

最後に、もう一回、もう一回だけ、

おばぁちゃんと話がしたかった。

 

おばぁちゃんの笑顔が見たかった。