奈良時代になると,日本固有の神の信仰と仏教との融合である神仏習合」(しんぶつしゅうごう)という教説が起こります。

その具体的な表れが,神宮寺」神前読経」


一方,「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)とは,神は人々の救済にために,仏が権(かり)に形を変えてこの世に現れたもの(権現)とする考え方です。


日本史を勉強していると,いろいろな用語に遭遇しますが,漢字からなんとなくその意味や正体が推測できたりします。

しかし,「本地垂迹」の意味って,ちょっと難しいですね~


辞書によると

 「本地」・・・仏としての本体。

 「垂迹」・・・仏が人々を救うために仮に神になって現れること。

だそうです。


 「垂迹」をもっと細かくみると,

 「垂」とは「たれる」すなわち示す,表すということ。

 「迹」とは「あと」。

つまり「本地」があとから姿を示した。仏が神として姿を仮に示したということなのですね。

なるほど。本地垂迹説って言葉は,その語句の意味さえ分かっていれば,そのまんまやんというほど明白なものだったのですね~


鎌倉期に興った神本仏迹説」も「迹」の意味が分かっていれば,仏があと,すなわち神を本地仏を迹とする「反本地垂迹説であるということがよく分かります。


受験生がよくやってしまうミスは,「神仏習合」と「本地垂迹説」の混同です。どちらを答えるべきなのかは,問題文をよく読んで,神仏の融合の名称なのか,権現に関する事なのか,求められている言葉を慎重に判断したいところです。


もっとも,本地垂迹説が展開されるのは,平安中期以降のことなので,奈良時代に関する問題であれば,「神仏習合」を答えるものと思われます。平安時代に関する問題ならば・・・,とにかくよく読みましょうということですね。


ちなみに主な本地仏と垂迹神をあげると

 大日如来=天照大神

 八幡神=阿弥陀如来

 大国主命=大黒天


そういえば,独眼竜で有名な伊達政宗は隻眼の高僧満海上人の生まれ変わりだという伝説がありましたね。

そして,政宗の幼名梵天丸の由来ともなった湯殿山の梵天は満海上人の化身したものだとか。

さらに,満海上人は大日如来の化身だとか。

不動明王も大日如来の化身ともいうし・・・


う~ん,難しい~,ややこしい~