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スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

2025.9.8 自宅前で皆既月食

202509080137202509080200202509080330昨日未明に撮影した動画です。写真より品質が劣りますが、鈴虫など秋色を感じさせる季節が夜半過ぎの夜にはありました。

住宅地でこんな撮影をしているヒトは珍しいので団地のおっちゃんに話しかけられてしまいました。こちらのカメラのファインダーを見せると自分のスマホで皆既月食を撮ろうとしますが、拡大撮影しないと映らないのです。

動画は映像と鈴虫の音だけで、話し声はカットしています。9分近く続く動画なので、暇な時間にご覧ください。動画の後半で、みずがめ座82番星の出現を見届ける皆既月食が撮れました。

結局、自宅前の共同駐車場で撮影することになりました。シゴト明けで西伊豆の駿河湾が見える宿を予約したのですが、明けの研修が昼まで掛かってしまい西伊豆まで行けるような時間が充分取られなかったです。

自宅前も快晴の予報が出ていたので、キャンセル料は宿泊の半分掛かりましたが自宅前で正解でした。108枚も失敗作があったものの何とか、みずがめ座82番星の出現を見届ける皆既月食が撮れました。

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2025.9.8 1:37

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2025.9.8 2:00 ターコイズ・フリンジ

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2025.9.8 2:19

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2025.9.8 3:30

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2025.9.8 3:47 みずがめ座82番星の出現

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2025.9.8 4:43
今夜遅くに全国で皆既月食
今夜遅くに全国で皆既月食

8日未明 皆既月食9月8日の未明から明け方に月が地球の影に隠される皆既月食が起こりました。日本全国で皆既月食が見られるのは、2022年11月8日以来、3年ぶりとなります。

皆既月食は、太陽と地球、月が一直線に並び、月が地球の影に入ることで起きます。太陽の光のうち、赤い光だけが地球の大気を通過する際に屈折して月へ届くため赤銅色に見えます。

国立天文台によりますと、今回は7日の夕方に昇った満月が、明8日に日付が変わる午前1時27分に欠け始めます。完全に月が地球の影に入る皆既は、午前2時30分から午前3時53分まで、その後、午前4時57分に部分食が終わります。食の経過時刻は、どの場所でも同じです。

8日の未明から明け方にかけては北海道は内陸部では雲が多いですが、沿岸部を中心に晴れるでしょう。東北や北陸、山陰では雲に覆われる見込みです。関東から近畿、山陽、四国、九州の太平洋側、沖縄ではおおむね晴れて、皆既月食を楽しめる所が多くなるでしょう。

皆既月食の仕組み
皆既月食の仕組み

8日未明に皆既月食
8日未明に皆既月食
2024年 ヤマト運輸ねぶた

ヤマト運輸ねぶた 町印 提灯ヤマト運輸ねぶた 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したヤマト運輸ねぶた実行委員会のねぶたです。観光コンベンション協会会長賞(第5位)と運行・跳人賞を受賞。

題  名:雪の吉野山 激闘
ねぶた師:北村 隆

文治元年(1185)12月、兄の源頼朝の怒りに触れた源義経が家来と静御前を連れ雪の吉野山に入る。あてにしていた金峯山寺の僧兵が敵側になったため、吉野水分神社まで逃げた。

僧兵の中でも屈強な吉野一の荒法師と呼ばれていた、横川覚範が迫ってきたので佐藤忠信が義経の身代わりとなって戦い、花矢倉から矢を浴びせ覚範を打ち取り義経一行を落ち延びさせた。雪の吉野山での義経の家来 佐藤忠信と荒法師と呼ばれていた横川覚範の激闘である。

ヤマト運輸ねぶた 鏡絵 雪の吉野山 激闘
鏡絵 雪の吉野山 激闘

ヤマト運輸ねぶた 送り絵
ヤマト運輸ねぶた 送り絵
2024年 に組・日本風力開発

に組・日本風力開発 提灯日本風力開発 幟に組 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したに組・日本風力開発グループのねぶたです。

題  名:朝比奈三郎 鰐鮫を生け捕る
ねぶた師:北村 隆

朝比奈義秀は鎌倉幕府の御家人で和田義盛の三男、三郎と称した。鎌倉幕府の御家人中で抜群の武勇をもって知られていた。

正治2年(1200年)時の将軍 源頼家が小壺の浜で船を出し酒宴を催していた。その時頼家は水練の達者と聞き及び、水練の技を披露せよと命じた。

義秀は水中深く潜り込んで格闘の末、三匹の鰐鮫を手取りにして人々を感嘆させたという。ねぶたは朝比奈三郎義秀が三匹の鰐鮫と格闘している場面。

に組・日本風力開発 鏡絵 朝比奈三郎 鰐鮫を生け捕る
鏡絵 朝比奈三郎 鰐鮫を生け捕る

に組・日本風力開発 送り絵
に組・日本風力開発 送り絵
2024年 青森県庁ねぶた

青森県庁ねぶた 提灯 青森県庁ねぶた 囃子方 青森県庁ねぶた 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した青森県庁ねぶた実行委員会のねぶたです。

題  名:木鹿大王 妖術を使う
ねぶた師:大白 我鴻

木鹿大王は八納洞を支配し3万の兵を従えている。象に乗り妖術を使い右手に持った鐘を鳴らし疾風を起こし、猛獣をも自由に操ることができた。

孟獲孔明に敗れ助けを求めてきたので、かつては孟獲と敵対していたのだが蜀の脅威の前に結託し猛獣や毒蛇などを操り蜀軍の討伐に向かった。猛獣を連れた見慣れない南蛮軍に恐れをなした趙雲と魏延は陣を引くのであった。

青森県庁ねぶた 鏡絵 木鹿大王 妖術を使う
鏡絵 木鹿大王 妖術を使う

青森県庁ねぶた 木鹿大王 妖術を使う
木鹿大王 妖術を使う

青森県庁ねぶた 送り絵
青森県庁ねぶた 送り絵
2024年 あおもり市民ねぶた

あおもり市民ねぶた 町印 あおもり市民ねぶた 幟 あおもり市民ねぶた 囃子方 あおもり市民ねぶた 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したあおもり市民ねぶた実行委員会のねぶたです。ねぶた大賞(第1位)と最優秀制作者賞を受賞しました。

題  名:鬼子母神
ねぶた師:北村 麻子

鬼子母神はパーンチカという武神の妻であるとても美しい女神で500人もの沢山の子供がいました。しかし鬼子母神はこの愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらって食べようとしていたのです。人間達は子供たちをさらわれることを恐れ苦しみ、お釈迦様に相談しました。

お釈迦様は一計を案じ鬼子母神が最も可愛がっていた一番下の子供を隠してしまいました。鬼子母神は嘆き悲しみ、必死になって気も狂わんばかりに探し回りましたが見つからず、ついにお釈迦様の元に行き自分の子供が見つからないことを話し助けを求めました。

お釈迦様は鬼子母神に「500人のうちたった一人居なくなっただけで、お前はこのように嘆き悲しみ私に助けを求めているだろう。たった数人しかいない子供をお前にさらわれた人間の親の悲しみはどれほどであったであろう。その気持ちがおまえにも今わかるのではないか?」と話し、お釈迦様は命の大切さ、子供を思う気持ちは人間も鬼神も変わりないことを説き、子供を鬼子母神の元に返しました。鬼子母神はお釈迦様の教えを受け改心し、以後は仏の教えを守り子供の守り神となったという事です。

あおもり市民ねぶた 鏡絵 鬼子母神
あおもり市民ねぶた 鏡絵 鬼子母神

あおもり市民ねぶた 鬼子母神
あおもり市民ねぶた 鬼子母神

あおもり市民ねぶた 送り絵
あおもり市民ねぶた 送り絵
2024年 マルハニチロ佞武多会

マルハニチロ 町印マルハニチロ 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したマルハニチロ侫武多会のねぶたです。

題  名:鵺退治
ねぶた師:手塚 茂樹

平安の頃。近衛天皇は毎晩丑の刻になると酷く発作を起こす奇怪な現象に悩まされており、原因究明の勅命を受けた源 頼政は深夜に弓矢を携えて、郎党の猪の 早太と紫宸殿で待ち構えた。

やがておびただしい黒雲が御所の屋根を覆いつくすと、頼政はその中に怪しげな影を見つけ「南無八幡大菩薩」と念じて天に矢を放つ。

手応えを感じた頼政の命により、早太は暗闇から墜ちてきた物の怪を剛力で取り押さえ、最期の抵抗をかわして短刀ひと突きに息の根を止めた。この物の怪は、頭が猿、胴が狸、尾は蛇、手足は虎、という恐ろしい姿の「鵺」であった。回復した天皇は褒美として頼政に獅子王という宝刀を授けた。

刀を渡す役の藤原頼長が「ほととぎす 名をも雲井にあぐるかな」と詠じると、頼政は「弓張月の 射るにまかせて」と即座に下の句を返し、文武両道の武将として名を馳せた。

マルハニチロ 鏡絵 鵺退治
鏡絵 鵺退治

マルハニチロ 鏡絵 源 頼政
鏡絵 源 頼政

マルハニチロ 送り絵
マルハニチロ 送り絵

マルハニチロ 囃子方・太鼓
マルハニチロ 囃子方・太鼓
2024年 青森山田学園

青森山田学園 町印青森山田学園 隆櫻會青森山田学園 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した青森山田学園のねぶたです。

題  名:宮本武蔵と巨鯨
ねぶた師:塚本 利佳

江戸時代初期の剣客 ・宮本武蔵。彼は諸国を巡り剣術の腕を磨く中、肥前の国の海上で大きな鯨を退治したという伝説があります。

その伝説をもとにして描かれた 1 枚の浮世絵があるのをご存じでしょうか? 荒れ狂う波と巨鯨の背に乗る宮本武蔵は自信に満ち溢れており、凛とした佇まいが描かれた作品です。

古来より鯨は富をもたらす神 "えびす様"の化身と信じられていました。人々は浜辺に打ち寄せられた鯨を食し、皮や骨、ひげで生活用品を作るなど全てを余すことなく利用してきました。

このねぶたで鯨や様々な生物との付き合い方や『海』を守るために私たちができることを改めて考える機会になればと思います。

青森山田学園 鏡絵 宮本武蔵と巨鯨
鏡絵 宮本武蔵と巨鯨

青森山田学園 鏡絵 宮本武蔵と巨鯨と亀
鏡絵 宮本武蔵と巨鯨と亀

青森山田学園 送り絵
青森山田学園 送り絵
2024年 青森県板金工業組合

青森県板金工業組合 提灯 青森県板金工業組合 囃子方・太鼓 青森県板金工業組合 町印 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した青森県板金工業組合のねぶたです。

題  名:黄泉比良坂伝説
ねぶた師:北村 春一

神話では、黄泉の国と現世は繋がっており境目として登場する黄泉比良坂。イザナギノミコトは、先立った最愛の妻イザナミノミコトを迎えに黄泉比良坂を通って黄泉の国を訪ねて行った。

イザナミは夫を待ち焦がれていたが、黄泉の国の食べ物を口にしてしまったので、すでに黄泉の国の住人となっていた。一緒に帰ろうという夫に「黄泉神に相談するので、その間私の姿を見ないでください」と言い消えてしまった。

長い間待てども返事はなくイザナギはしびれを切らして辺りを見回すと、そこには変わり果てたイザナミの姿があり、驚いたイザナギは恐ろしくなり逃げだした。

約束を破られ醜い姿を見られたうえに現世に戻る術もなくなったイザナミは、怒りに震え黄泉の軍勢と共に追いかけた。イザナギが軍勢を振り切り黄泉比良坂まで来た時、黄泉の国への入り口を千引ちびきの岩で塞いだため、イザナミとの永遠の別れとなった。死者は甦ることはないのである。

ねぶたは、イザナミが黄泉の軍政と共にイザナギを追いかける迫力のある場面を表現した。

青森県板金工業組合 鏡絵 黄泉比良坂伝説
鏡絵 黄泉比良坂伝説

青森県板金工業組合 送り絵
青森県板金工業組合 送り絵
2024年 日立連合ねぶた

日立連合ねぶた 鏡絵 河津三郎祐泰「河津掛け」 日立連合ねぶた 送り絵 日立連合ねぶた 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した日立連合ねぶた委員会のねぶたです。囃子賞を受賞しました。

題  名:河津三郎祐泰「河津掛け」
ねぶた師:北村 蓮明

物語の舞台は平安時代末期の伊豆柏峠。伊豆と相模の武士たちが慰労の酒宴を開いたときの出来事。

宴席を盛り上げようと源頼朝の前で相撲を取ることとなり、力自慢が競い合った。相模側から工藤祐経の腹心である大庭景親の弟、俣野五郎景久が登場すると他の強豪たちを一蹴し、得意満面で挑戦者を次々と倒していく。

このまま俣野の全勝かと思われたが、次の挑戦者は伊東祐親の嫡子である河津三郎祐泰。小兵ながら堂々とした姿勢で現れ大きく四股を踏んだ後、俣野との激しい相撲勝負が繰り広げられた。勝負は拮抗するが、最後は河津が俣野を投げ飛ばして破り、決着となった。

ちなみに現代の大相撲にも存在する「河津掛け」という決まり手は、河津と俣野の相撲が由来ともいわれている。ねぶたは河津が俣野を投げ飛ばす場面。勝負が決まる一瞬の緊迫感を表現した。

日立連合ねぶた 鏡絵 河津三郎祐泰「河津掛け」
鏡絵 河津三郎祐泰「河津掛け」

日立連合ねぶた 送り絵
日立連合ねぶた 送り絵

日立連合ねぶた 囃子方・太鼓
日立連合ねぶた 囃子方・太鼓

日立連合ねぶた 囃子方・手振り鉦
日立連合ねぶた 囃子方・手振り鉦