


弘前城三の丸庭園は文化七年に現天守閣造営の際、九代藩主寧親が三の丸御屋形に移り住むにあたり、江戸より庭師を招き本庭を築庭した。本庭はこの時代の枯山水として優れた様式と意匠を伝え、当地方の庭園文化の源流として貴重な庭。特に柱状節理の六方石を屏風型に積立てた滝石組は斬新な手法として評価を受けた。
明治三十一年、石燈籠や庭石などの添景物の多くが運び出され荒廃したが、昭和五十八年 修復を終え、往時の姿に復されたものである。
巨大りんごが浮かぶ直径5mの津軽大花手水は組ねぷたの技法を用いて様々な竹の編み方で制作されたりんごや津軽塗の紋様、夏に摘果された実すぐりりんごと共に作る共創作品です。


