帯広ユースホステル | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

帯広YH 現役時代
帯広YH 現役時代

帯広ユースホステル 建物国鉄時代の帯広駅舎帯広ユースホステル(帯広市西5条南→帯広市東2条) 『サホロユースホステル』との同族経営により運営されていた。2代目の建物は1973年5月10日に移転した後のものでユースホステルとして閉館した後はホテルとして使われた。

初代、2代目とも建物は既に解体済み。旧称『平原荘ホステル』『平原荘』『平原荘ユースホステル』何れも初代建物使用時に称していた。別称『筒井旅館』『筒井旅館ユースホステル』。

帯広ユースホステルには、確か3回ほど泊まらせて戴きました。駅から近く収容人数が多いので真夏でも泊まれる可能性が高くラウンジでゆっくりできるので大変に気に入っていました。

昭和末期に国鉄広尾線と士幌線が廃止になって廃止前に乗りに行ったのが帯広YHに泊まったきっかけです。割とロビーが広めで出かける時にホステラーからお出かけの洗礼を受けたのですが、線路脇に出てまでお見送りをしていたとは知りませんでした。帯広YH お見送りの写真日付が1986年8月6日ですが、その22日後に帯広市内の郵便局を訪れていました。同じ日に写真右下の国鉄時代の帯広駅を撮っていました。

画像と記事の一部は懐古趣味で何が悪いさんのブログより引用させていただきました。

帯広YH お見送り
帯広YH お見送り