弘前公園 最長寿のソメイヨシノ | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

弘前公園 最長寿のソメイヨシノ
弘前公園 最長寿のソメイヨシノ

弘前公園 最長寿のソメイヨシノ 看板弘前公園 最長寿 ソメイヨシノ弘前公園 最長寿 ソメイヨシノ弘前公園 最長寿のソメイヨシノは二の丸東内門の向かいで背後に与力番所が控えます。

明治15年、旧津軽藩士・菊池楯衛により植えられたソメイヨシノ1000本のうちの1本で、緑の相談所裏にある「日本最大幹周のソメイヨシノ」も明治15年に植えられた可能性がある。

菊池楯衛は津軽地域がりんごの栽培に適していることを見出し、明治8年に内務省勧業寮から無料で配布されたりんごの苗木を明治10年に旧士族の屋敷に試植。

菊池楯衛は明治10年に北海道七重の開拓使勧業課試験場で、米国人技師からりんご栽培技術を学び、弘前で士族仲間を集め「化育社」を設立し積極的にりんご栽培に取り組んだので「青森りんごの始祖」と呼ばれています。

菊池楯衛は明治維新後、荒廃した弘前城跡を見かねて、当時あまり知られていないソメイヨシノを1000本植栽。旧藩士などから「城に桜を植えて物見遊山の場にするとはけしからん」と苗を抜かれてしまうこともあった。

明治28年に弘前城跡が弘前公園として公開されたことが追い風となり、明治34年〜明治36年の間に、大正天皇のご成婚記念としてさらに1000本のソメイヨシノが植栽されています。菊池楯衛が植えた桜も順調に育って、大正5年には、最初の夜桜見物が行なわれています。
ニッポン旅マガジンより記事を引用

弘前公園 最長寿のソメイヨシノ
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