養命酒 CM | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

1967年 養命酒 CM

養命酒養命酒養命酒は、養命酒製造株式会社が製造、販売する薬味酒・薬用酒の商品名である。

製造元に残る伝承によれば、慶長で信州(現在の長野県上伊那郡中川村)に住んでいた塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けた。

老人が塩沢の元を去るとき、お礼に薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の起源という。

1602年製造開始。1603年には徳川家康に献上され、そのときに「飛龍」の印を使うことが許された。日本初の商標ともいわれている。

赤穂浪士が養命酒を飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に養命酒が登場している。

長らく塩沢家で製造されてきたが、1923年には製造元が会社組織になった。東京進出当初は全く売れなかったが、広告を出した所反響が大きく、一気に販売量を増やしたと言われている。

1930年に東京で本格的に養命酒を売り出そうとした時に試飲した東京の酒類販売業者たちは「こんなものが売れるものか」と大笑いした。

しかし徐々に売り上げを伸ばし33年後の1963年の東京での売り上げは発売開始初年度の約80倍にまで膨らんでいた。

日本国外に知られるようになったのは、海軍大将の山本五十六が養命酒の愛飲家で、ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎全権大使に同行した際に持っていったのがきっかけと言われている。

その後、中国やマレーシア、シンガポール、ブラジルなどに輸出するようになる。タイ王国では、味・効能とも非常によく似たヤーストゥリーが現在も販売されている。

1967年 養命酒CM