



防弾・防火のために土蔵造りで、1690年(元禄3年)にとち葺の葺替えが終了したと伝わっています。また元禄9年(1696年)には、櫓下にあった番所の修復も行われたとされ、北の郭から櫓台下、本丸への通路がありました。
現在、石垣には東屋があり、その隣には見事なソメイヨシノもあります。その東屋から奥には岩木山が望めます。天気の良い日はここで景色を眺めるのもよいでしょう。
本丸戌亥櫓跡から崖下の蓮池に向かって土塁が落ち込んでいます。その場所は急すぎるので立ち入り禁止区域ですが、そこにも鮮やかな紅葉が見られます。
本丸の櫓跡は、もう一つあります。本丸戌亥櫓跡から真っすぐ南の方向へ歩くと本丸未申櫓跡があります。こちらは東屋が設置されていなので、あまりくつろげる場所ではありません。
しかし本丸未申櫓跡こそが本当の旧天守跡だったところで、落雷によって焼失するまで5層の天守がありました。
1810年(文化7年)になるまで天守の新造が認められなかったため、ここに櫓が建てられました。本丸の南西(未申の方角)にあったため、本丸未申櫓と呼ばれたそうです。
1694年(元禄7年)に石垣を修理した際、不動明王の梵字を刻んだ石が出土したという記録が、当時の藩庁日記に残されているそうです。
