
1915年の第1回大会で秋田中学校が決勝戦で京都第二中学校に敗れ、惜しくも優勝を逃して以降、2021年の第103回 夏の甲子園、2022年の第94回 春の甲子園に至るまで、東北勢は決勝戦進出こそ12回(夏に9回、春に3回)経験したものの、12回とも敗れて準優勝に終わっていた。
そのため同大会では「優勝旗(大深紅旗)は白河の関を越えていない」と称され、東北勢の優勝は「白河の関越え」と称されて長年の悲願となっていた。
1997年以降、白河の関跡近くに建つ白川神社は、白河の関越えを祈願して東北6県の出場校に「通行手形」を贈呈するようになった。
東北勢が優勝できない要因として、「東北のような雪国ではグラウンドが毎年数ヶ月は雪に閉ざされるため、練習機会に恵まれず不利である」とも評されていた。
