
次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。
画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。
使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がった。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。
番組開始当初、初代総合司会の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時に限りハンドマイクを持ちながら立って番組を進行したが、1992年10月4日放送分から常に立って進行するようになった。
