パネルクイズアタック25 1982年 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

パネルクイズアタック25 1982年 司会 児玉清 出題 相沢純子 アシスタント 平井悦子

アタック25 1982年 アシスタント 平井悦子パネルクイズアタック25の放送開始にあたっては、朝日放送のスタッフが子供にオセロゲームを購入したことを思い出し「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。

次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。

画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。

使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がった。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。

番組開始当初、初代総合司会の児玉は出題者(アシスタント)とともに席に座り、オープニングと海外旅行クイズの時に限りハンドマイクを持ちながら立って番組を進行したが、1992年10月4日放送分から常に立って進行するようになった。

アタック25 1982年出題 相沢純子
アタック25 1982年 出題 相沢純子