

弘前を語るときに決して見落とすことの出来ないのは、毎年五月初旬に開かれる"観桜会"である。何しろ弘前城跡にある樹は、全部桜と松、しかも九割までが桜である。
その種類は、いやしくも桜と名が付く全てを包含していると云われ、この壮観を楽しみに来る人は全国津々浦々から集まると云う。
文 市川 沖、カメラ 日下和時
敗戦後、戦時中の抑圧から解放された弘前市民は映画に夢中になった。市内各地には随所に映画の専門館が建った。しかしテレビの普及に伴い映画は衰退していった。従業員の削減や系列館の再編成が行われ、映画館と他の施設が同居する複合経営が主流となった。
オリオン会館は、1975(昭和50)年に1階建てのオリオン座を3階建ての映画専門館として新築したものだが、1階にパチンコ店を入れざるを得なかった。映画館閉鎖後、現在はオリオン歯科が入居し開業しているが、映画専門館の面影を残す貴重な建物である。
この記事が書かれた1957年(昭和32年)は今から64年も前のことで、「三丁目の夕日」の世界にも通じます。来年65歳で定年退職が生まれたような年なので、恐ろしく時代が違ってきます。
ここまで時代線が違ってくると戦後すぐの時間でしょうし、いざなぎ景気に沸いた時代でもあって弘前でも好景気に沸いていたのでしょう。この時代に撮られた建物は非常に貴重なので、『キネマ旬報』1957年8月1日号を入手できて良かったと思いました。



「新・盛り場風土記 弘前」『キネマ旬報』1957年8月1日号、第182号、pp.115-117より引用