札幌市に地下鉄開業 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

札幌市に地下鉄開業(南北線)

札幌市営地下鉄南北線開通 札幌市ではモータリゼーションの進行で冬季の交通渋滞が深刻化していたことに加え、冬季オリンピックの開催が決定し、選手や観客の輸送にも対応可能な大量輸送交通機関の建設気運が高まったことが計画の端緒となった。1965年から札苗実験場でゴムタイヤ方式の試験車を使った各種試験に着手し、1967年に札幌市議会で建設が可決された。

南北線開業時の路線図 札幌市がゴムタイヤ方式に固執した理由は、高速電車と入れ替わりに廃止が予想される市電と同等の利便性を確保するため、高速電車の駅間隔を当初、電停並みの300m程度と想定していたことによる。

当時人口が80万人規模だった札幌において、地下鉄建設には当時の大蔵省が赤字を懸念して建設補助に難色を示し「札幌の中山峠には熊が出るそうですがそんなところに地下鉄を走らせて熊を乗せるつもりですか」との発言に、大刀局長は「熊でもジェンコ(金)さえ払えば乗せますよ」と発したやり取りの記録が残っている。

1967年(昭和42年)12月の定例市議会で南北線真駒内 - 北24条間の建設が可決され、直ちに免許が申請。しかし運輸省が管轄する地方鉄道法、建設省が管轄する軌道法のいずれにも承認が得られず、国会議員の協力を得て地方鉄道法での建設に決着。

当時の地方鉄道法には、既存の鉄軌条やモノレールにも当てはまらない独自の形式であったため、関係省令を一部改正して「案内軌条式鉄道」の項目を設けた上で認可された。その後、建設省側からは南北線の高架部分建設に関し事細かな注文が入り、当初中心市街地のみを地下化とする計画が大半の区間を地下化する形に変更された。

札幌市営地下鉄南北線開業
札幌市営地下鉄南北線開業