相馬ねぷた愛好会 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

2014 【弘前ねぷたまつり】相馬ねぷた愛好会【弘前観光コンベンション協会長賞】

相馬ねぷた愛好会・絵師 村岡 盛應

弘前観光コンベンション協会会長賞(大型扇形の部3位)

2014.8.2 相馬ねぷた愛好会

2014年8月2日に弘前市元寺町の市民参画センター前で運行された相馬ねぷた愛好会のねぷたです。相馬とは、弘前市西部にあった旧相馬村から。

渡辺 綱(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。源宛の子。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。通称は渡辺源次。
武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱と称し渡辺氏の祖となる。

摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話で有名。謡曲『羅生門』は一条戻橋の説話の舞台を羅城門に移しかえたものである。

相馬ねぷた愛好会
相馬ねぷた愛好会(町印)

羅城門 渡辺綱鬼腕斬之図
羅城門 渡辺綱 鬼腕斬之図(鏡絵)

地獄太夫
地獄太夫(見送り絵)

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