
ベイルートは、この地域における商業、銀行業及び金融の中心地であり、約180万人が居住している。住民は、キリスト教徒(マロン派、ギリシャ正教、アルメニア正教 、アルメニアカトリック 、ローマ・カトリック、プロテスタント)、イスラム教徒(スンナ派、シーア派)、さらにはドゥルーズ派のような少数派に分かれる。この為、中東で最も文化的に多様な都市の一つである。
第二次世界大戦後、レバノンは独立を与えられ、ベイルートはその首都となった。その後ベイルートは、中東における交通の要所であり、商業と金融、観光の主要な中心地となり中東のパリと呼ばれるほど華やかで美しい街として発展、さらにアラブ世界の知的首都でもあり続けたが、それも1975年にレバノンで凄惨な内戦が勃発するまでであった。内戦のほとんどの期間、ベイルートは、イスラム教徒の西部(ベイルートの大部分)とキリスト教徒の東部に分割された。かつて商業や文化活動が栄えた市街地は、無人地帯になった。ベイルートの上流階級や知識人の多くが他国に逃れた。
ベイルートのユダヤ人の大部分は、1975年に戦争が始まった際アメリカ合衆国に移住し、現在はニューヨーク市のブルックリン地区に住む者が目立っている。ベイルートは、レバノン内戦の間に分裂し、イスラム教徒地区の西部と、キリスト教徒地区の東部に分割された。
この内戦終結後、レバノンの人々はベイルートを再建しつつあり、観光、文化、知的活動も徐々に回復し、商業やファッション、報道も盛んになりつつあるが、観光や大衆文化の中心はカイロ、イスタンブールなどの都市に、金融、交通の中心はドバイにその地位が移り、課題は大きい。
