
小学生時から歌が得意でちびっこのど自慢大会などにも多数出演した。1980年(中学1年)に梓みちよの「よろしかったら」を歌い福岡音楽祭にてグランプリを獲得、1981年(中学2年)には文化放送主催の「全日本ヤング選抜スターは君だ」で優勝、1982年には「東芝・タレントスカウトキャラバン」で優勝。大手事務所サンミュージックプロダクション所属となる。
1983年3月21日、シングル「脱・プラトニック」で東芝EMIからレコードデビュー。キャッチフレーズは「16才の戒厳令」、「クラスで5番目に可愛い女の子」。抜群の高い歌唱力が売りだった。同年デビューの歌手に大沢逸美、森尾由美、松本明子、小林千絵、THE GOOD-BYE、岩井小百合、いとうまい子、原真祐美、小出広美などがいた。基準的に売れたアイドルが存在しなかったために「不作の83年組」と言われた。明るいキャラクターでラジオパーソナリティなどもこなした。1988年に音楽活動に専念したい理由から、デビュー当時から所属していたサンミュージックプロダクションを辞める。1990年代に入ってから自身のライブ活動、アニソン、コーラス業などで活動し「咲恵子(さえこ)」、「Sae」の名でも活動。2010年より、桑田靖子名義でライブ活動開始。