

内陸であることは、河川などの水系さえ確保できていれば防衛上はこれ以上ない利点であった。河川は上流であるほど抑える価値があり、下流域は上流域より価値が低かった。日本でも干ばつなどの際、古代から現代にいたるまで上流の田畑には水が行き届くけれども下流では水不足になったという記録は枚挙にいとまがない。また、6世紀から8世紀にかけては日本では都は多く内陸におかれた。これは白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗北した日本の朝廷が防衛を鑑み、大阪湾にでる河川を確保したうえで、山城、大和、近江といった内陸に貴人の住処を移し都を構えたこととも関連する。なお、世界的にみても、古今問わず、洋の東西を問わず、海を持つ大国の都は海からの上陸の容易な海岸沿いの沿岸都市ではなく、あくまでも河川のある内陸都市に宮城がおかれている事が多い。
その後、世界で大規模船舶建造が行われ食糧や燃料、人員を大量に積んで長距離での航海が盛んになり、植民地を得ることが自国の繁栄につながると考えられるようになると、進出侵略上では海に面した国のほうが先んじることになった。大型船舶の建造は植民地と本国との海運貿易の発達を促し、中世から第一次世界大戦戦後にかけては欧州各国は内陸国であっても海への出口を確保することに躍起になった。

国境を接する全ての国が内陸国である内陸国のことを二重内陸国(doubly landlocked country)という。二重内陸国では、海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない。
現在世界にある二重内陸国は、リヒテンシュタインとウズベキスタンのみである。ただし、リヒテンシュタインは国際河川のドナウ川を通して海に連絡しており、ウズベキスタンもカスピ海からの運河によって海につながっている。