北硫黄島 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

ふじ丸から撮影した北硫黄島
ふじ丸から撮影した北硫黄島

北硫黄島とは、東京都小笠原村に属する無人島。東京の南約1,200km、父島の南南西207kmに位置し、火山列島(硫黄列島)の最北端。最高標高は792mの榊ヶ峰。明治期から太平洋戦争まで、主に母島からの移民が集落を形成していた。 島周辺は常に波が高く、船の接岸は困難である。絶滅の恐れがあるとされ特殊鳥類に指定されているシマハヤブサの生息地である。

1896年(明治29年) - 漁労目的に母島から移住開始。戦前の最盛期には東側に石野村、西北側に西村の2集落があり人口は約220人、サトウキビや野菜の栽培、鰹漁が行なわれていた。その後島の経営を硫黄島製糖会社が行なうようになった。なお、この頃に島内で磨製石器の石斧3点が発見され東京大学に寄贈された。

1939年(昭和14年) - 第二次世界大戦勃発。この時の島民は103人。

1944年(昭和19年) - 第二次世界大戦激化のため本土へ強制疎開を開始した。疎開時の人口は90人だった。島の守備と周辺の不時着機および遭難舩船の乗員の救助を任務として北硫黄島派遣隊が派遣される。

1945年(昭和20年) - 北硫黄島派遣隊は、第二次世界大戦終結後の9月5日に魚雷艇にて撤収。それ以降無人島となっている。