
モーグ社の記録によると、1971年10月頃、モーグIII-P(ポータブル・キャビネット型)が飛鳥貿易を経由して日本に出荷され、それが冨田勲に渡ったとされている。そのモーグ・シンセサイザーについてきた取扱説明書は分かりにくく、コードをつないでも不快な音しか出ず「これはなんとかしないと、1,000万円も出してアメリカから鉄くずを買ってしまったことになる」と当初は焦ったと冨田は述懐しているが、操作に習熟すると音作りに没頭する。やがて、CBSソニーから『スイッチト・オン・ヒット&ロック』(1972年)を発表。本作は、生のリズムセクションにシンセサイザーの上モノをダビングした、俗にいう「モーグ・レコード」のスタイルだったが、その後ドビュッシーのピアノ曲をモチーフにしたアルバム『月の光』(1974年)で独自の色彩的表現を開花させた。