
享保金銀は正徳4年(1714年)の吹替え(改鋳)により慶長金銀の品位に復帰したが、大判についても慶長大判と同等のものに復帰することとなった。この大判は初めて公式に通用価値が設定され、享保小判、一分判に対し、七両二分と価格が公定された。元文元年(1736年)の元文の吹替え後は元文小判に対し十両の相場が一般化した。
表面は「拾両後藤(花押)」と墨書され、後藤四郎兵衛家十二代寿乗、十三代延乗、十四代桂乗、十五代真乗、十六代方乗、十七代典乗の書があり、上下左右に丸枠桐紋極印がそれぞれ一箇所、計四箇所打たれ、形状はやや角ばった楕円形であるが慶長大判より撫肩となる。流通期間が長いことから墨書きの書き改めも頻繁に行われたため、後藤家六代に亘る墨書が存在することになった。享保大判の現存数は万延大判についで多いが、初期の十二代寿乗による墨書は大変稀少である。
裏面中央に丸枠桐紋、亀甲桐紋、花押の極印、左下に「久・さ・竹」、「久・石・竹」、「久・坂・竹」、「久・宇・竹」、「久・七・竹」のいずれかの極印が打たれている。
鋳造枚数は8,515枚であるが、この内15枚は金座において試し吹きのため鋳潰され、発行されたのは8,500枚である。