
1971年、パリ(一部ブラジル)で彼女にとって生涯初となる本格的なボサノヴァ・アルバム「美しきボサノヴァのミューズ」を発表。その後、ナラは育児や精神科医になるための勉強などにより表舞台から姿を消す。
80年代に入ると育児も一段落し、ナラは精力的に活動した。歌謡曲スタイルに挑戦したり、パウリーニョ・ダ・ヴィオラのサンバやカエターノ・ベローゾのバラード、ブラジル内陸部の音楽、キューバの作曲家の歌等を取り上げた。また、ヴィオラォン一本だけで“ボサノヴァだけを歌う”ショーを開き、ブラジル国内でボサノヴァを再び注目させるきっかけを作った。
1985年にはホベルト・メネスカルやカメラータ・カリオカと共に2回目の来日。そして東京でボサノヴァのスタンダード曲集を制作した。アメリカン・スタンダードを歌ったアルバムはブラジル、日本、アメリカ合衆国、ヨーロッパでもリリースされた。
同年の来日時、あるコンサートで何曲か歌った直後に一時意識を失った。その当時は「あまりにも感情を込めて歌ってしまい余韻から抜けられなかった」と言われていた。