
1990年、セッション・ベーシストの御大“ナルチョ”こと鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎えるが、1992年に日山が脱退し、その後当時22歳の熊谷徳明が加入。これまでメンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。
海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のアーティストとして韓国公演を行って話題となる。しかし、この年かぎりで熊谷が脱退。1997年から野呂、向谷、鳴瀬の3名のユニットとなり、そこに神保がサポートメンバーとして復帰して支えていた。2004年からは、その神保と則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。
2006年8月1日、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディング・ライブ活動をすべて休止すると発表した。理由については現時点では明らかにされていない。現在、メンバーはそれぞれのソロ活動を行っている状態である。