
当時のプロデューサーが、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のような曲を作って欲しいと細野に依頼し、出来上がったのがこのバラード曲。それでも当時21歳の松田は、この難曲を見事に歌いこなしていると作詞家に言わせた。
作詞家の松本隆は後年のテレビ番組で賞賛した。「聖子さんの歌を作る時は、いつもその時点の彼女の2-3歩先を行く歌を作る。彼女は見事にそれに付いてくる。「SWEET MEMORIES」に関しては、彼女の10歩位先を行くように作った。作曲の大村雅朗氏と「今回は付いて来られないかな?難しすぎたかな?」とも話したが、彼女は見事に付いてきた。2-3歩先でも常に付いてこられる歌手はそうそういるものではなく、彼女は10歩先でも歌いこなした」。