
大船渡線 営業㌔ 105.7km 全線開通 1935年(昭和10年)9月29日 現役路線
2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震により全線で不通。全線で壊滅的な被害を受ける。
4月1日に一ノ関~気仙沼間が運転を再開しました。詳細はJR東日本まで。
大船渡線の停車駅
一ノ関 - 真滝 - 陸中門崎 - 岩ノ下 - 陸中松川 - 猊鼻渓 - 柴宿 - 摺沢 - 千厩 - 小梨 - 矢越 - 折壁 - 新月 - 気仙沼 - 鹿折唐桑 - 上鹿折 - 陸前矢作 - 竹駒 - 陸前高田 - 脇ノ沢 - 小友 - 細浦 - 下船渡 - 大船渡 - 盛

1918年に軽便鉄道法により一ノ関 - 気仙沼間が計画され、翌年に大船渡までが追加されたもので、1925年から1934年にかけて全通した。大船渡 - 盛間は、改正鉄道敷設法別表第7号に規定する予定線の一部で、1935年に開業した。この予定線の残りの区間の一部は1970年に盛線として開業し、1984年に三陸鉄道南リアス線として全通している。
陸中門崎 - 千廐間の線形から「鍋弦線」と揶揄され、「我田引鉄」の代表例とされる。当初の計画では、門崎から真直に千廐へ抜けることになっていたが、岩手県出身の原敬率いる立憲政友会の後押しで千廐の北にある摺沢の街から立候補した佐藤良平が1920年の総選挙で当選したことで、摺沢を経由して千厩を通らずに直接大船渡へ向かうように計画が変更された。
千厩では憲政会に頼って誘致を展開し、1924年の総選挙で憲政会が勝利すると、摺沢から千厩へ抜けるように再び計画が変更され、現在の線形となった。国鉄時代は急行があり仙台 - 南三陸諸都市間を結ぶ幹線であったが、前述のような線形の悪さが災いし、JR東日本発足後はJR気仙沼線や沿線と一関や仙台を直接結ぶバス路線にその機能を奪われつつある。
大船渡線沿線の旧東磐井地域の中でも最多人口である旧大東町、また石灰石資源があり日本百景選出観光地である猊鼻渓も有する旧東山町を迂回したことは、必ずしもマイナスではない。過去においては陸中松川の鉱業開発を促し、また現在でも生活路線としては効果を発揮している。昨今の大船渡線は、高校生の通学路線としての色合いが強い。