グロズヌイ | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

チェチェンのモスク
チェチェンのモスク
グロズヌイの市章Wikipediaより抜粋
グロズヌイ(露:Грозный)は、はロシア連邦南部に位置するチェチェン共和国の首都。人口は約21万8千人(2006年)で、最盛期の1994年(42万人)に比べ半減している。

グロズヌイとはロシア語で「恐怖を覚えさせる」という意味でイワン4世のあだ名『雷帝』として知られる。 チェチェン独立派はジョハル(Dzhokhar)(チェチェン語: Джовхар-ГIала)と呼ぶ。チェチェン・イチケリア共和国の初代大統領・ジョハル・ドゥダエフに因んだ名前で、1996年に独立派の政権が存在していた時はDzokhar-Ghalaが公式の市名であった。

トラムやトロリーバス網があったが、1990年になると部品の盗難や乗客の運賃未払い、ストライキが横行し、路線の延長計画はストップ、さらに第一次チェチェン紛争で公共交通はストップした。トラムの軌道は破損し、バスはバリケードに転用された。トロリーバスの損害は軽微であったが部品が盗まれ運行に支障をきたし、バスをトロリーバスに改造した。第二次チェチェン紛争で、トラムもトロリーバスも深刻な損害を受け、今日でも運行されていない。

大統領官邸の近くにいるチェチェン人兵士
大統領官邸の近くにいるチェチェン人兵士

現在においても戦争の傷跡は深く、時折散発的な戦闘も発生するとされるが、市内の一部では復興の兆しも見え始めている。チェチェン紛争で破壊された家屋は6万棟、そのうち2006年までに900棟が再建された。工場もわずか3つであるが再建された。チェチェン駅も2005年に業務を再開し、チェチェン空港も2007年にモスクワへの定期便を復活した。2008年、4年の歳月をかけてグロズヌイモスクが再建された。ヨーロッパで最大規模のモスクである。 2006年までに電気はおおよそ回復したが、ガス、水道はいまだ止まったままの家屋が多い。