

アルタイ共和国(Республика Алтай)はアジアの中央に位置するロシア内の自治共和国。紀元前から遊牧文化が栄え、パジリク古墳群やカタンガ、アク・アラハなど多くのクルガンが残されている。パジリク文化(前6-前2世紀)と総称。
住民の60%がロシア人、30%がアルタイ人。 アルタイ人は多数のテュルク語系諸族の混交によって形成され、テレウト、テレングトなどのテュルク系諸族(552年~745年)、ウイグル(745年~840年)、キルギス(8世紀~13世紀初頭)の3つのハーン国(汗国)の主要な民族であった。13世紀、チンギス・ハーンのモンゴル帝国に征服された。1700年代中ごろからはロシア人がこの地域の植民地化をすすめ、アルタイ人はしだいに遊牧生活から定住生活にうつっていった。20世紀初頭、ロシア支配からの解放をうったえる新興宗教が広い支持をあつめたが、まもなく抵抗運動はおさえこまれた。
1922年、ソビエト連邦当局はアルタイ人のためにオイロート自治州(当時、アルタイ人はオイロート人とよばれていた)をもうけた。1948年、ゴルノ・アルタイ自治州と改称。ゴルノ(Горно-)とは「山岳の」という意味。遊牧生活をおくる者はほとんどいなくなったが、ソビエト時代もアルタイ人の伝統的な生活様式はかなり残された。1991年、アルタイ地方から分離して、自治州から共和国に昇格しゴルノ・アルタイ共和国となり、同年末のソビエト連邦の崩壊にともない、1992年にロシア連邦内のアルタイ共和国となった。
