トゥヴァ共和国 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

トゥヴァ共和国旗
トゥヴァ共和国旗

トゥヴァ共和国の位置Wikipediaより抜粋
トゥヴァ共和国(Республика Тыва,トゥバ共和国とも)とはアジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。トゥバ人64%、ロシア人32%が住む。

国内を流れるほとんどの河川はエニセイ川の水系である。主要河川は上エニセイ河(ウルグ=ヘム)と、その左岸支流のヘムチク川である。さらに上エニセイ川は、クズル市で合流する大エニセイ川(ビー=ヘム)と小エニセイ川(カー=ヘム)よりなっている。共和国には多くの湖が存在する。

タンヌ・ウリャンハイ(唐努烏梁海)としても知られているトゥバは、13世紀から18世紀までモンゴル人によって支配され、その後1757年から1911年までは清の支配下にあった。1911年に辛亥革命が起こると、ロシア帝国はトゥバ人の分離主義運動を扇動しトゥバを形式的に独立させ、その後1914年にロシアの保護領とした。

タンヌ・トゥバの国旗1917年のロシア革命に伴う混乱は、トゥバを再び独立させた。1921年に、ロシア共産党によって一般的にはタンヌ・トゥバと呼ばれているトゥヴァ人民共和国(露:Тувинская Народная Республика)が建国された。トゥバ人民共和国は、1944年にソビエト連邦に自治州として編入され、1961年には自治共和国に昇格した。1992年3月31日にトゥバ共和国はロシア連邦条約に調印し、ロシア連邦の連邦構成主体となってからは、共和国の名称もロシア語表記の Туваからトゥバ語表記の Тываに変更された。

中華民国は、現在でもトゥバが自国領であると主張しており、最近まで発行されていた官製の「中華民国全図」には、自国領として中華人民共和国統治区域・モンゴル国などに加えトゥバが含まれていた。

タンヌ・トゥバ国旗
タンヌ・トゥバ国旗