畑中 正人 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

Masato Hatanaka music composed for "INFINITY"

畑中 正人畑中 正人(Hatanaka Masato 1975年1月24日 - )は、日本の作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、キーボーディスト。北海道枝幸郡浜頓別町出身。

1975年北海道浜頓別町に生まれる。15歳から独学で作曲を学ぶ。作曲をするきっかけは「ある日突然作曲がしたくなった」といくつかのインタビューで語っている。音楽に興味を持つ以前はサッカーに没頭しており、それまでは特に音楽に深い興味を持つことはなかったが、映画音楽やアニメのサウンドトラックのレコードやカセットテープを買い込むなど少しずつ音楽に興味を持ち始めたという。

一方では高校生の頃にNHK-FMで偶然聞いたアジアの現代音楽の野外コンサートの音色に衝撃を受け、以来真剣に音楽を勉強することを決意したという発言もしている。高校時代は本格的にシンセサイザー、ギター、ドラムマシン、ミキサー、シーケンサーなどをアルバイトで購入し作曲、ピアノ演奏、和声法、対位法、管弦楽法、音響学、MIDIなどを同時進行で独習、また民族音楽についての研究も行った。

高校当時すでに学園祭のイベントや劇のためのオリジナル曲や効果音などを制作していた。その一方でレコーディングやステージ音響、サウンドデザインなどにも興味を持ち、1993年北海道浜頓別高等学校を卒業後、札幌市の経専学園放送芸術専門学校・レコーディング学科に進学。引き続き音楽を独学で学びながら学校では主に録音技術やステージ音響、音楽プロデュースについて学んだ。

Masato Hatanaka composed for the "+under"

1995年の卒業と同時に札幌市を拠点にプロとしてのキャリアをスタート。主に舞台音楽やイベント、企業VPや広告音楽などの分野で数多くの作品を手掛ける。同年札幌で開催されたアートイベント「ポロメンタ」で主催者の西村英樹や「ドクメンタ9」を監督したヤン・フート、オランダの芸術家エーフリー・プレースマンらとの出会いが大きな転機をもたらし、以後音楽以外の分野のアーティストと積極的に共作するきっかけとなった。

1996年にはNMA(ナウミュージック・アーツ)が主宰した即興演奏のワークショップに参加。当時講師として来札していた大友良英や内橋和久、札幌在住のピアノニスト・宝示戸亮二らの演奏や音楽に対する考え方に畑中は大きな感銘を受け、その後の彼の音楽活動に多大な影響を与えたと公言している。当時はノイズ音や環境音などサンプラーやシンセサイザーを駆使した即興演奏をソロやセッション、コンテンポラリーダンスとの共演などで行っていた。

ボーカルの入ったオリジナル曲もいくつか発表していたが、作品の大半はインストルメンタルであった。現代美術のための音楽作品やサウンドインスタレーションなども数多く手がけていた。当時からCDアルバムを発売することに違和感を持ち、いくつかのレーベルからのオファーがあったものの、消費の激しい音楽市場主義的なスタンスに馴染むことを拒み全て断っていたという。

Masato Hatanaka - DESIGNING 2006