
ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston, 1963年8月9日 - 2012年2月11日)は、アメリカの歌手・女優。1980-1990年代を代表する女性歌手である。
ゴスペル・R&Bをベースとしながらポップ性の高い楽曲で大成功を収め、マイケル・ジャクソンとともに1980年代ブラックミュージックの象徴的な存在となった。
ニュージャージー州ニューアークに生まれる。音楽一家に育ち、母親のシシー・ヒューストン(Cissy Houston)は60年代に活躍したスイート・インスピレーションズのリード・ボーカルで、後にはエルヴィス・プレスリーやアレサ・フランクリンのツアーにバック・コーラスとしても参加している。シシー・ヒューストンがツアーに出ている間、父親ジョン・ヒューストンが育児を担当した。両親はホイットニーが10代の頃に離婚し、シシー・ヒューストンが養育権を得た。
従妹にはディオンヌ・ワーウィック、ディ・ディ・ワーウィック、ジュディ・クレイなどソウル・ファンには馴染みの名前が連なる。アレサ・フランクリンはホイットニーの代母である。
10代の頃はモデルとして活動したり、チャカ・カーンらのバックボーカルを務めて頭角を現す。
1983年、大物プロデューサークライヴ・デイヴィスの目にとまりアリスタ・レコードとレコード契約。翌年にはテディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒットした。
1985年になってデビューアルバム「Whitney Houston」をリリース、いきなり爆発的人気を獲得。2作目のシングル「Saving All My Love For You」から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てた。
1991年、スーパーボウルXXVで国歌を披露。これは後に語り継がれる名演となり、シングルとしても発売された。さらに10年後にはアメリカ同時多発テロ事件のチャリティで再リリースされヒットしている。
1992年、ケビン・コスナーと共演した初主演映画「ボディガード」が公開され、成功を収める。彼女の新曲6曲を収録したサウンドトラックは全世界で3000万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚[1]を売り上げる驚異的なヒットとなった。主題歌、「オールウェイズ・ラヴ・ユー(I Will Always Love You)」(カントリー歌手、ドリー・パートンのカバー)は全米シングルチャートで14週連続No.1を記録する自身最大のヒット曲に。