皆それぞれが、自分の物語を生きている。
その中で自分の正しさを握りしめている。
物語は人の数だけある。
的確なエネルギー感知をするためには、
(自分の)「ものがたり」から出ないといけない。
ということが、杼を用いてのエネルギー伝達を通じて
、ようやく分かり始めた。(ような気がする)

このことが、どうしても分からなかった。
そのことについて、
分からなかったことを説明する方向から書くこともできるし
認識できる位置に立てたという観点からも書くこともできる。
10年以上どうしてわからなかったのか?
何で分かったと思えるようになってきたのか?

何故分からなかったのかということへの答えは、
ずっと自分の物語の中で、正解を探し続けて、物語の外側が理解できないでいたから。今自分の認識している世界の外側がある!のが分からなかった。「私」の物語をビー玉に例えると、私というビー玉の中にいて、その中限定で俯瞰をして、右往左往して、落ち着きどころを探している状態だったから分からなかった。その中では、うまくいくこともあれば、いかないこともある。永遠に回り続ける滑車のハムスターのような感じ。そこにいるということが分かるのは、その中にいると、不安や落ち込みなどのネガティブな状態は絶えず存在するから。それを感じないように、色々工夫して頑張る。
ビー玉内が揺れないようにバランスをとり続けて、揺れを抑えている状態では、硬さや不自由さが付きまとい、やはりどこか苦しさがある。
しばらく私がやっていたのは、YEメソッドを通じて、ビー玉内の感情の交通整理。自分が「負である」と認定する感情は、あたかもないかのように一点に押し込めていたことは分かり始めた。
パターンを変えるために、旅行に行ったり、住まいを変えたり、断捨離をしたり色々やってみた。物理的な環境が整うことで、内面も整えられた部分もある。けれども、不安は完全には消えない。
変わらず、私の胸の硬結は硬いままだった。
人が固まるのは、何かに反応して、防衛が本能的に働いた状態のことで、
その防衛しようとした事象が今はないのに、固まった状態が続いているのをブロックとかトラウマとかいうと思うのだけれど、
最初に固まったのがいつなのか、何に固まったのかは自分は全く覚えていない。
どう取り組んでいいか頭打ちになり、
現実的に、もっと良くなるためには、もっとこうしないと!と、
ねばべきがどんどん押し寄せてきて、
ますます緊張が高まる。
どうしたらいいか?
普通に生活しているけど、内面はよく分からなくなってしまった。
なので、
とにかく、シンプルになろうと思った。
分からないことを、自覚できるところまでシンプルにしていこうと。
そして、身体のお稽古を通じて身体をととのえ、
内面的な交通整理をしていくことをぼちぼちやり続け

シンプルになる方に向かった。

でも、気を付けないといけないのが、
「シンプルになる物語」
というまた別の物語をつくりはじめてしまうということだった。
よく分からないけれど、今までの私なら何も考えずに「やります」
というところを、一旦立ち止まり、
それなに?で、どうしたいの?と自分に聞くようにした。
聞いたときに身体がどう反応するかも見るようにした。
そこまでしてようやく、
自分のリズムが見えてきた。
そして、そのリズムに物語をつけないように、
ただ感じてそこにいる時間は、「ものがたり」ではないのだと
感じることができた。



(あとがき)
先日土用に入る前に、無事酵素の仕込みができました。ヒットは栃木産「にっこり梨」で、甘いサクッとした美味しい梨でした。去年はかぼちゃをはじめいろいろな瓜が入り、梨の種類も豊富だったのですが今年の果物売り場の旬は、去年とは違いました。「同じはない、、、」を実感体感する毎日です。
あと4日位で出来上がるはず。どんな酵素になるか楽しみ。。。