クラスで、
15人以上の方に昔の古傷をヒーリングしてもらいました。今までにないぐらい人々に注目された私の踵は緊張しながらもその、存在が認められて小躍りして喜び歓喜の雄叫びをあげていました。
そして、いまも変化が続いています。

傷は31年前19の夏、授業を、サボって北海道へツーリングに行った帰り、あと自宅まで24キロメートル地点でクルマと接触、大腿四頭筋断裂と、その拍子に脚がバイクのスイングアームに巻き込まれ。ライダーブーツごとかかとが剥げてしまい,すねが切れたのも合わせて全部で三箇所60ちょっと
針縫った怪我をしました。
お陰様で骨は丈夫で骨折はなく大学2年の1ヶ月半夏は全て病院のベッドで過ごしました。
そんなひどい怪我なのに事故当時
一番痛かったのはマフラーによる足首の三センチ位の3度の火傷
筋肉の断裂は、腱がつけばあとはトレーニングで何とかなると言われてましたが、肉がそぎおとされていた踵は一年経ってもキズは閉じず、おまけに免疫が下がり緑粒菌感染とかで、何年もバンドエードをつけたまま過ごしました。
当日は足の機能は8割戻ればいい方と言われていました。
具体的には、歩けるけどサッカーボールを思い切り蹴ることは出来ないと。


この事故が無かったら私は次は四国に出かけていって、それから海外青年協力隊員に応募するつもりでした。
このおかげて私は教職をとることにして
バイクで通う、バイトの鬼だったのが
たまに学校帰りに街に出てお茶をする機会も持つ女子大生らしい行動をするようになりましたが。
左右の太さに差はあるものの、医師の見立てとは異なり、一年後にはテニスを軽く出来るくらいまで、復活しました。、

事故から四年経つと、仕事の関係で高校3年間嗜んだ剣道を再開することになり、稽古のたびにかかとが割れたりしながらも普通に運動出来るまでになりむした。
足に合う靴があまり無かった私には剣道は
裸足で好都合だった面もあります。


時は流れ、身体を壊したコトをきっかけに
身体のことを学び始め
自分の傷を自分が労わるコトを知り 

そしてまだまだその深さを思い知るのです。

色々自分なりに対策をして、何十年経っても変化はするのだと感心して、さらにケアして行こうとちょうど改めて思っていた所でした。

いつもそんなに人に見せることのない部位が
ものすごい注目をしかもケアまでしてもらったその効果は凄まじく、
その夜夕飯の時、なんの関係か右の顎関節が痛くて大きく口を開けて開けることが出来ない。
重い当たるのは、それしかない!
しかもかかとが久しぶりにずーっとずきんずきんするし、
滞ってたところにエネルギーが流れ始めると傷みが出るのですが正に!それが起こり始めています。どう変化していくのか記録していこうと思います。色んなことがつながっていることが見えて来ます。
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