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20年

月曜日は成人の日でした。

会社に向かう途中で、振り袖姿の女の子とたくさんすれ違いました。



彼女たちが生まれた1995年は、今思うと激動の1年だったのかもしれません。



阪神淡路大震災から、今日で20年。

避難所で育った赤ちゃん、お腹の中で震災を経験した赤ちゃんも、もう20歳。

粉ミルクやオムツの提供はもちろん、救援物資も「私より妊婦さんを優先してあげて」という声もあったことでしょう。



たくさんの人に助けられ、守られて、震災の歴史とともに歩んだ20年。



私はその震災を直接体験してはいないけれど。

ハタチでもないけれど。

この2ヶ月後に起きたおぞましい事件のことも含めて、今、この世に生きていることを感謝しなければいけないな、と改めて思いました。

長州おはぎ

珍しく、京都での「食」の話を…。

といってもおばんざいや京料理ではなく、デザート…おやつはてなマークの話。



祇園石段下に、「京ぽんと祇園菓舎」というお店があります。

店の手前ではお土産用のお菓子を販売していて、奥が喫茶室になっています。

ここに来た目的が、これ。



長州おはぎです。

…長州藩、好きではないんですけれどね。

実はこれ、幕末の京都で売れたものが昨年150年ぶりに復活販売したもの。



時は元治元年(1864年)9月、禁門の変の後、幕府による征伐で長州藩が苦境に立たされていた頃。

長州藩の城下町「萩」を示す「おはぎ」を、萩藩主毛利家の家紋「一文字三星」をなぞらえた形に並べ、長州藩「36万石」にかけて36文で売られていました。

買う者が「負けてくれ(安くしてくれ)」と言うと売る者が「一戦(一銭)も負けられん(安くしない)」と答える当時の作法は、長州藩を応援する民衆の心情を表しています。

京の町を救ったのは新選組や會津藩なのになーむっ

羽振りの良い長州藩は京都の民衆に人気があったと聞きますが、まさにそれを物語っているおはぎです。



今はお土産用に360円で販売がま口財布

店内で食べる時には千円で萩焼きのお皿が付きます。

もちろん、当時と同じあの作法も行いますにひひ

でも長州藩、好きではないんですけれど…(しつこいあせる

だって新選組派ですからラブラブ



店員さんに長州おはぎを知ったきっかけを聞かれ、京都検定の講演会で講師の先生に教えてもらったことを話すと、

「うちの店長も京都検定受けたんですよニコニコ」との話。

そこで店長さんと京都検定の話をしてきました。

「試験、どうでしたはてなマーク

「自己採点したんですけど……」

「僕ギリギリだったので、マークシートの塗り間違いがあったらアウトです」

「私もです!!

まさかの受験級も同じでした。

お互いに合格していると良いですね、と会話してお店を後にしました。

結果発表は今月末の予定。

結果が分かったら、また報告に食べに行きます音譜

良い報告が出来ると信じて…。

蓮華王院

えーと…。

京都旅行の続きを書こうと思ったら、どこで止まっているか分からなくなったMEGですあせる

あ、豊国神社ですね。ということはまだ12月18日で止まっているんですね。

先は長いなぁ…。



ということで、豊国神社を出てからの話。



徒歩10分かからない場所にある蓮華王院、通称三十三間堂へ行きました。

なぜ蓮華王院を三十三間堂と呼ぶかというと、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によるそうです。

33という数は、観音菩薩の変化身三十三身に基づく数だとか。

蓮華王院というのも建物の名前で、正式には蓮華王院本堂という仏堂のこと。

天台宗妙法院の境外仏堂なのです。

この仏堂には、ご存知のように数多くの仏像があります。

本尊の千手観音坐像を中心に、その他計1,001体の千手観音立像、左右両端に風神雷神像、手前に二十八部衆像が。

こんなに集まっていると圧巻です!!

ですが…前にも書きましたが、仏像にはあまり興味のない私。

「へー、凄いねー」なんて言いながら、あっさり出てきてしまいましたガーン

せめてこの本堂の写真をカメラ



本当に南北に長く、全部が入らない…。



ここ、仏像が好きな人は絶対楽しいだろうなぁ。

二十八部衆像などの説明を読んでも、私には何がなんやらさっぱり…汗

誰か詳しく、かつ分かりやすく説明してくださいパー



もっと勉強したらまた来たいと思います。