正直な気持ちです。
僕が今から書くことは、僕の正直な気持ちです。
なので、多分おもしろいことは書かないと思いますが、
僕は、人間として、日本人として、そして、表現者として、伝えないといけないと思い、
このブログを書きます。
もし、お時間あったら最後まで読んでください。
↓
3.11の大震災から、日付が変わり、今日で4カ月が経ちます。
震災後、社会は大きく変容しました。
日本全体がいろいろなことが起きて何をどうすればいいのかもわからない状態でした。
そんな中、僕は、『スピリチュアルな1日』という舞台の稽古中でした。
正直、震災直後、役者って社会の中で、意味のある仕事なのか?
と、毎日自問自答を繰り返していました。
でも、今、やれるべきことを悔いのないように観にきてくれる人達の為に、僕は全力をつくさなければならない。
今だからこそ、伝えられるものが絶対にあるはずだと信じて、本番を迎えたのをよく覚えています。
そして、初日を終えた後、カーテンコールでみなさんの拍手をもらった時に、
「このためにやっていたんだ」
と強く思ったのをよく覚えています。観にきてくれた人たちが、笑って泣いて、そして、拍手をくれた時のあの感覚は死ぬまで覚えていると思います。
震災直後で、誰もが不安な中、劇場まで足を運んでくれて、喜んで帰って行ってくれるのを見て涙が出ました。
僕は、不安なみんなを少しでも、楽しませようと全力を尽くしましたが、逆に、みなさんから励まされました。
このきっかけは、僕にとって大きなものになり、もっとたくさんの表現をみなさんに届けたいと思うよになりました。
なぜ、こんな話をするのかというと、
先日、僕は、宮城県は石巻に行っていました。泥掃除、側溝作業、漁具回収、瓦礫撤去など、6日間しか行っていませんが、そこで得たものをなんとかみなさんに伝えないといけないと思ったからです。
たったの6日間でしたが、たくさんのものを貰いました。
いま、テレビなどは、原発や節電の影響のことが中心に報道されていますが、東北の沿岸部を襲った津波の影響は計り知れないほど大きく、4か月たった今も、絶望的な光景が広がっています。
東京にいる自分は、ニュースや新聞などを通して、情報を得ています。
もちろん、被災地のことも報道されていますが、情報の中心は、原発や節電でこれも僕たちにとってはとても大事な情報であり、重要なのは言うまでもありません。
しかし、被災地の情報がしっかりと届いているか?というと、そこまで細かく情報を入手するのは困難です。
4か月も経ったから、大分復興が進んでいるのではないか?
という気さえしている人もいると思うし、現に、そう思っている人もいました。
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/46/01/j/t02200165_0800060011343854317.jpg?caw=800)
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/e2/c1/j/t02200165_0800060011343854318.jpg?caw=800)
現地に行き、直にその状況を目撃した時、言葉を失いました。
何もない。
あるのは瓦礫。
自然の力は、恵みをくれるとともに、こんな破壊力を持っているのか。
ここにいた人はどうなったのか?
大切な家族はどうしたのか?
夢を追いかけていた人はどうなったのか?
自然の力を前に自分はなぜ生かされているのか?
いろんなことが瞬時に頭を駆け抜けました。
一瞬にして全てを奪ってしまった津波。
その力を目の当たりにし、自分の非力さを痛感しました。
何もできない。
でも、現地の人たちはそれでも懸命に前を向いて歩いて進んでいます。
ボランティアのみなさんも毎日毎日、必死に、街をきれいにしようと奮闘しています。
自分は震災直後のことは、ボランティアの方達から、聞きました。
震災直後よりはるかに、街は少しずつだが、きれいになっている。と。
人間一人の力は非力かもしれないけど、たくさんの人が集まれば、怖いものなどない。
人はやっぱり一人では生きてはいけないし、お互いが支え合って共存していくものなのです。
同じ日本で生まれ、日本で育ったみんなで支え合わないといけないんだと強く思いました。
そして、ボランティアの方の中には、外国人の方がたくさんいました。
日本の為に、全力で働いてくれています。
ある外国人の方に話を聞く機会だあり、
「なぜ、ボランティアに来たのですか?」
という問いに、
「僕が日本に来た時に、日本の方がすごくやさしくしてくれたから」
といっていたのが、とても印象的でした。
そうやってきっと、人と人とはつながっているんだと感じることができました。
今も、被災地では、手つかずの土地がいくつもあり、そういった地域を国や行政ばかりに任せるのではなく、ボランティアの方がどんどんそういった地域をきれいにしていってくれています。
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/8f/36/j/t02200165_0800060011343851522.jpg?caw=800)
小網倉浜という漁港に行った時の話ですが、ここは、牡蠣の養殖を行なっている場所でした。
その牡蠣の養殖に使う、漁具(ロープ)の回収作業をした時の話ですが、この土地もやはり、津波の影響が甚大で、地元の漁師さんも、漁港再開を諦めていたが、ボランティアの人たちがその漁港を少しずつ、きれいにしていくうちに、漁師さんたちも、漁業を再開できるという希望が膨らんで行ったそうです。
手つかずだった土地をボランティアが入ることにより、現地の方たちも希望を持てるようになる。
義援金を贈ることも、節電をすることも、すべて、いろいろな形で協力できるということになります。
ボランティアも。
いま、ボランティアの人数がどんどん減っています。いろいろな事情でいける人行けない人いると思います。
ボランティアに行くのがエライとか、そういうことじゃないんです。
でも、僕は行くことができて、感じたのは、一人でも多くの人が行くことにより、1分でも、1秒でも、早く復興に向かえるということ。
それを実感しました。
これから先、何年、何十年と復興には時間がかかると思いますが、みんなが定期的に支援することで、その時間がどんどん減っていきます。
同じ日本人として、『和』を大事にし生きていければと。
そう思いました。
そして、僕だけじゃなく、みなさんも今を精一杯生きてください。
そして、余裕があったら、東北のことを考えてください。
早く日本中が笑顔になれるようにぼくも精一杯、表現し続けていきます。
これしか、僕はできないから。
たくさんの想いを無駄にしないように、前を向いて歩いて行きましょう。
長々とすみませんでした。
今日で、震災から4か月です。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
R.I.P
なので、多分おもしろいことは書かないと思いますが、
僕は、人間として、日本人として、そして、表現者として、伝えないといけないと思い、
このブログを書きます。
もし、お時間あったら最後まで読んでください。
↓
3.11の大震災から、日付が変わり、今日で4カ月が経ちます。
震災後、社会は大きく変容しました。
日本全体がいろいろなことが起きて何をどうすればいいのかもわからない状態でした。
そんな中、僕は、『スピリチュアルな1日』という舞台の稽古中でした。
正直、震災直後、役者って社会の中で、意味のある仕事なのか?
と、毎日自問自答を繰り返していました。
でも、今、やれるべきことを悔いのないように観にきてくれる人達の為に、僕は全力をつくさなければならない。
今だからこそ、伝えられるものが絶対にあるはずだと信じて、本番を迎えたのをよく覚えています。
そして、初日を終えた後、カーテンコールでみなさんの拍手をもらった時に、
「このためにやっていたんだ」
と強く思ったのをよく覚えています。観にきてくれた人たちが、笑って泣いて、そして、拍手をくれた時のあの感覚は死ぬまで覚えていると思います。
震災直後で、誰もが不安な中、劇場まで足を運んでくれて、喜んで帰って行ってくれるのを見て涙が出ました。
僕は、不安なみんなを少しでも、楽しませようと全力を尽くしましたが、逆に、みなさんから励まされました。
このきっかけは、僕にとって大きなものになり、もっとたくさんの表現をみなさんに届けたいと思うよになりました。
なぜ、こんな話をするのかというと、
先日、僕は、宮城県は石巻に行っていました。泥掃除、側溝作業、漁具回収、瓦礫撤去など、6日間しか行っていませんが、そこで得たものをなんとかみなさんに伝えないといけないと思ったからです。
たったの6日間でしたが、たくさんのものを貰いました。
いま、テレビなどは、原発や節電の影響のことが中心に報道されていますが、東北の沿岸部を襲った津波の影響は計り知れないほど大きく、4か月たった今も、絶望的な光景が広がっています。
東京にいる自分は、ニュースや新聞などを通して、情報を得ています。
もちろん、被災地のことも報道されていますが、情報の中心は、原発や節電でこれも僕たちにとってはとても大事な情報であり、重要なのは言うまでもありません。
しかし、被災地の情報がしっかりと届いているか?というと、そこまで細かく情報を入手するのは困難です。
4か月も経ったから、大分復興が進んでいるのではないか?
という気さえしている人もいると思うし、現に、そう思っている人もいました。
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/46/01/j/t02200165_0800060011343854317.jpg?caw=800)
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/e2/c1/j/t02200165_0800060011343854318.jpg?caw=800)
現地に行き、直にその状況を目撃した時、言葉を失いました。
何もない。
あるのは瓦礫。
自然の力は、恵みをくれるとともに、こんな破壊力を持っているのか。
ここにいた人はどうなったのか?
大切な家族はどうしたのか?
夢を追いかけていた人はどうなったのか?
自然の力を前に自分はなぜ生かされているのか?
いろんなことが瞬時に頭を駆け抜けました。
一瞬にして全てを奪ってしまった津波。
その力を目の当たりにし、自分の非力さを痛感しました。
何もできない。
でも、現地の人たちはそれでも懸命に前を向いて歩いて進んでいます。
ボランティアのみなさんも毎日毎日、必死に、街をきれいにしようと奮闘しています。
自分は震災直後のことは、ボランティアの方達から、聞きました。
震災直後よりはるかに、街は少しずつだが、きれいになっている。と。
人間一人の力は非力かもしれないけど、たくさんの人が集まれば、怖いものなどない。
人はやっぱり一人では生きてはいけないし、お互いが支え合って共存していくものなのです。
同じ日本で生まれ、日本で育ったみんなで支え合わないといけないんだと強く思いました。
そして、ボランティアの方の中には、外国人の方がたくさんいました。
日本の為に、全力で働いてくれています。
ある外国人の方に話を聞く機会だあり、
「なぜ、ボランティアに来たのですか?」
という問いに、
「僕が日本に来た時に、日本の方がすごくやさしくしてくれたから」
といっていたのが、とても印象的でした。
そうやってきっと、人と人とはつながっているんだと感じることができました。
今も、被災地では、手つかずの土地がいくつもあり、そういった地域を国や行政ばかりに任せるのではなく、ボランティアの方がどんどんそういった地域をきれいにしていってくれています。
![$今井隆文の「髪の流れのように・・・」](https://stat.ameba.jp/user_images/20110711/16/meganpa/8f/36/j/t02200165_0800060011343851522.jpg?caw=800)
小網倉浜という漁港に行った時の話ですが、ここは、牡蠣の養殖を行なっている場所でした。
その牡蠣の養殖に使う、漁具(ロープ)の回収作業をした時の話ですが、この土地もやはり、津波の影響が甚大で、地元の漁師さんも、漁港再開を諦めていたが、ボランティアの人たちがその漁港を少しずつ、きれいにしていくうちに、漁師さんたちも、漁業を再開できるという希望が膨らんで行ったそうです。
手つかずだった土地をボランティアが入ることにより、現地の方たちも希望を持てるようになる。
義援金を贈ることも、節電をすることも、すべて、いろいろな形で協力できるということになります。
ボランティアも。
いま、ボランティアの人数がどんどん減っています。いろいろな事情でいける人行けない人いると思います。
ボランティアに行くのがエライとか、そういうことじゃないんです。
でも、僕は行くことができて、感じたのは、一人でも多くの人が行くことにより、1分でも、1秒でも、早く復興に向かえるということ。
それを実感しました。
これから先、何年、何十年と復興には時間がかかると思いますが、みんなが定期的に支援することで、その時間がどんどん減っていきます。
同じ日本人として、『和』を大事にし生きていければと。
そう思いました。
そして、僕だけじゃなく、みなさんも今を精一杯生きてください。
そして、余裕があったら、東北のことを考えてください。
早く日本中が笑顔になれるようにぼくも精一杯、表現し続けていきます。
これしか、僕はできないから。
たくさんの想いを無駄にしないように、前を向いて歩いて行きましょう。
長々とすみませんでした。
今日で、震災から4か月です。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
R.I.P