こんにちは(・∀・)ノ
以下、長文です。
昨日、3月11日はあの忌まわしい東日本大震災から12年経った日でした。
当時、ワタシが住んでいた成田市でも震度6強という激震が襲いました。
地震が起きたとき、ワタシは成田空港で仕事中で、それまでの人生で体験したことのない激しい揺れに死を覚悟しました。
自宅にいた妻と、下校中だった娘が心配で、すぐに連絡を取ろうとしましたが、なかなか電話が繋がりません。
あの当時はまだスマホも持っておらず、LINEなどのメッセージアプリも使ってません。
やっと連絡が取れて、ふたりの無事が確認できた時の安堵感は今でも覚えています。
あの日の記憶を風化させないように、毎年思い出すようにしています。
被害が大きかった東北の人々の苦しみといったら、想像を絶するほどでしょう。
ワタシ的には、若い頃から旅行にスキーにと何度も足を運んだ福島県が気がかりでした。
娘を連れて何度も泊まりに行った猪苗代のペンションのおじさんからの『福島では野菜を育ててはいけないそうです』という悲しい手紙が届いた時は胸が張り裂ける思いでした。
地震による直接的な被害と津波に加え、原子力発電所の事故による放射能漏れなど、苦しい状況にあった福島県。
特に、安全が確認されているにも関わらず、農作物に放射性物質が付いているなどの風評被害で苦しめられた福島の農家の方々。
未だ復興の途上にある福島県ですが、元気に頑張っておられます。
ワタシは福島県出身ではありませんが、お世話になった愛する福島県のために少しでもお役に立てればと、『SUPPORT BY EATING』のスローガンを掲げ、微力ながら応援を続けています。
そんな中、出会ったのが福島県二本松市に本店を構える『麺処 若武者』さんのご主人である山本一平さんです。
出会いのきっかけは、本八幡の『魂麺』さんのご主人である山西さんとのFacebookのコメント欄で、掛け合い漫才のような山西さんと一平さんのやり取りに巻き込まれたところからです。
その後、二本松までラーメンを食べに行き、どんどん事業拡大する若武者さんを見守りつつ、機会があって東京ラーメンショーのお手伝いをさせていただいて、さらに出会いは広がって、今に至ります。
若武者さんはワタシと福島を結ぶ鎹(かすがい)。
これからも『食べて応援!』を掲げて福島と繋がっていきたいと思います。
さて、そんな若武者さんとの出会いの先に、『麺処若武者ASAKUSA』さんもありまして、昼跨ぎの仕事で東京に出た折に、久しぶりにお邪魔しました。
それにしても、浅草はコロナ禍以前にほぼ戻ってますね。
お店に入って券売機で食券を購入。
この日、厨房を切り盛りしていたのは福島が生んだクールビューティ・あみちゃんです。
八街のラーメン祭でご一緒させていただきました。
忘れられないようにたまに顔を出さないと(о´∀`о)
お邪魔した時間帯はバイトさんがおらず、あみちゃんのワンオペ。
カウンターはワタシたちが入店して満席に。
半分は修学旅行生と思われる若者たち。
良い選択!
厨房では黙々とラーメンを作る若きエース。
若い職人さんが頑張ってる姿が堪らなく好きです。
食券を渡して、待つこと少しで提供されました。
こちらです。どん!
『特濃旨辛福島鶏台湾』です。
福島鶏白湯と台湾ラーメンの融合。
カップラーメンにもなっている若武者さんの人気メニューです。
ワタシにとってもレギュラーの中ではいちばんのお気に入り。
台湾ミンチ、鶏チャーシュー、豚チャーシュー、ニラ、もやし、糸唐辛子などがのっています。
先ずは麺をひと啜り。
鶏の旨味濃厚な白湯スープは一切のクサミがなく、ほどよい辛味と融合して脳を揺さぶる美味しさです!
羽田製麺さんの細麺がこのスープをよく拾ってくれて、口の中に幸せを運んでくれます。
スゴく濃厚なのにクドさを感じさせない不思議。
会津地鶏、伊達どり、川俣シャモなどの福島県産の地鶏・銘柄鶏と卓越した技術が融合した、正に福島鶏白湯!
今や白河ラーメン、喜多方ラーメン、郡山ブラックと肩を並べる福島のご当地ラーメンの一角を担っています。
震災復興の最中誕生した福島鶏白湯は、福島県内で食べられるお店が何軒もありますので、興味のある方は是非、食べてみてほしいです。
なんて、ちょっと宣伝じみたこと言っている間に麺を食べ終わり、ランチタイムサービスの『むぎめし』の出番。
コレを丼に残したスープにドボン!
コレが滅法合うんです!ンメ❗️
『健康に悪いからスープは残しちゃう』なんて言ってるそこのオジサン!
お店の方が丹精込めて作ってくれたスープを残す方がココロの健康を害しますよ!
汁一滴、欠片一粒残さず完食です。
ごちそうさまでした。
メガもりくんはこれからも福島県を応援します!