朔参りで気付いたことがあります。いや、もう大分前から薄っすらわかっていたこと。


それは、精神的な充足が満たされるにつれ、物質世界がどうでもよくなるというか、物欲とか、俗っぽいものに囚われなくなるよなぁと。





ここのお稲荷さんも縁あって、氏神様が繋いでくれました。



詳しくはこちらにまとめてありますが





今年の初午祭以降、毎日お世話をさせていただいているお稲荷さん。


伏見系のお稲荷さんとは元々相性がいいので、自分の小さな夢だったマイ神社的な?場所を持つことができ、そのお世話ができるって去年ぐらいに夢だったので嬉しいですね。


それなりに歴史のある氏子地域の小さなお稲荷様。ここにつながるのは必然だったんだなぁと。


今では毎日お世話(お供え、祝詞、朝御饌、夕御饌など)をしていますが、朔参りは欠かせません。



(朔参りのお供え。この後、お酒、デザートもお供えしました)



いつも榊の水を換えるのに、隣の家の水道を借りています。ここのご高齢になられるご夫婦のお父さんが毎月一日(ついたち)になると、榊を丸ごと交換してたみたいです。


ぼくが世話をするようになってから榊の交換には二度立ち会っていますが、一度も枯れずにピンピンしているので、榊を毎月12本のみ追加するのが恒例になりました。


つまり、ぼくが世話をするようになってから榊の交換は必要なくなりました。国産というか、境内の榊かな?


これを少しづつ足してるみたいですが、もはや枯れようがないので、毎月1本ずつ、これからも追加していくことになりそうです。


一番嬉しかったのが今回、榊の水を交換している最中にお父さんが家から出てきて、「もう、換える必要なくなったな。んじゃ、これを2本ずつ挿して足しといてくれるか?」と、ゴキゲンな表情でおっしゃられたのは生涯忘れることはないでしょう。


とても印象に残る嬉しそうな表情でしたし、ぼくが毎朝来るようになったので、月一の楽しみもできたんじゃないかなぁって。


その後は、一緒にお稲荷さんのお社のところに行きまして、お父さんはおちょこにいれた日本酒を持参し、アルミに包んだ粗塩も一緒にお供えされてました。





その際、一緒に頭を下げて参拝させていただきました。


もちろん、このご夫婦やここの氏子さんたちが幸せで末永く生きられますように。と、お祈りさせてもらいました。


誰かと一緒に、それもお世話させてもらってる神様に頭下げて参拝できるってとても楽しいなぁと。


この日の朔参りは何かこう、すべてが満たされた感じがしました。


有り難いなぁ、幸せだなぁと心の底から充足感で満たされたのは久々かもしれません。


その瞬間、「ああ、もう何も要らないや」って思えました。


物質世界、現世ご利益みたいなものから解放されて、欲をほっしたり、何かを強く渇望することもなく、文字通り、「煩悩」から解放されました。


手を合わせて目をつぶった瞬間、御劔稲荷大神様の優しい御神気と波動に暖かく包み込まれるような何とも言えない感覚になり、しばらくは放心状態。


神様にフワーッと、優しく包み込まれるような感覚に陥りました。


ああ、ここは小さなお社だけど、神様がちゃんといらっしゃるのだなぁと改めて再確認。


元々、初見で神様がいるのは雰囲気とかそういうのでわかってはいましたが、このようなフィードバックがあるとその存在は「確信」に変わりますね。


こうやって昔は村で大事にされてきた氏神様なんだろうなぁと。


今では氏神様ということにはなってないみたいだけど、それは形式上の話であり、ぼくにとってもこの地域の皆さんにとっても大事な氏神様であることには変わりありません。


毎月こうして色んな方々と交流を深めて、一緒に参拝したり、他愛もない話をしたりする幸せな空間を提供してくれてるのだから


ぼくができることは毎日掃除をして、お供えして、祝詞を唱えて、感謝と祈りを捧げるのみ。この地域や関わる人に幸せが訪れますように、と。





毎月お揚げをお供えしてくださるおじ様もいらっしゃって、話しかけましたよ。ちゃんと(笑)







んで、神前から下げた塩のお守り(和紙で奉製した)をプレゼントさせてもらいました。受け取ってくれたので嬉しかったですね。


まさか自分が氏神様の神社以外で、お世話をさせてもらえるお社に関わるとは夢にも思っていませんでした。


元々は氏神様に毎日通って掃除をしていた身分ですが、宮司さんと仲良くなって、神事に参加しまくって、しつこくしつこく宮司さんに関わってたら、一番好きなお稲荷さんの世話ができるようになるなんて。


今でも夢の世界を生きてるようで。


夢はもう叶ってるし、毎日その夢の中を生きてるので幸せこの上ないですね。


この幸せを誰か一人にでも多く伝えるなり、お裾分けしたい所存でございます。