自分の軸がない
軸がほしい
軸がほしい
こんな言葉をよく耳にします。
私も散々言われたことがありますし、
自分でも長い間、
軸がないなあと思っていました。

ところで、
軸ってなんなんですか?
軸がないと言われていた頃の私は
良いと聞けばとりあえずやってみる。
白と言われれば、白だと思う。
目指すべきはコレだ!
と言われれば目指す。
そんな感じで、いつも周りから
方針なり、目指すべきものを与えられて、
それを自分なりに理由付けしていました。
思い込みって本当に恐ろしいもので、
実はそんなに良くないものでも、
実はそんなに白くなくても
自分で理由付けをしているので
これは良い!とか、白い!とか言い張って。
でもその言い出しっぺの人や
自分が尊敬している人が
やっぱりこっちのほうが良い
と言われれば、すぐに乗り換えるし、
やっぱりちょっと灰色だったね
と言われれば、急に灰色に見える。
尻軽かつ視野狭窄そのものでした。

自分の目も耳も手触りも
心も何にも使わずに
頭の表面だけを使っていました。
でも最近、
芯が通ってるよね
軸があるよね
と言っていただけることが
少しずつ増えてきました。
何が変わったのかなと
考えていたのですが、
一番大きく変わったのは
軸を持つことを手放したことです。
代わりに、自分に「納得してる?」と
確認していることに気付きました。
もっと言うと
納得しない限り、
決断しなく(できなく)なりました。
フラフラしてた頃の私は
自分が納得していたんじゃなくて
自分に納得させていたんです。

例えば同じ日に
Aさん主催のイベントと
Bさん主催のイベントが
全く別々の場所であったとします。
AさんもBさんも大切な人です。
そうなると前の私は
少しの時間ずつハシゴしていました。
移動があるので、長居は出来ません。
もしかしたら主催のAさん、Bさんに
会えないかもしれません。
でも、行ったよと後で伝えることはできる!
だから両方行こう!!
と思っていました。
心から納得して、満足して
ハシゴするなら全然問題ないのです。
でももし、主催者と会いたい・話したい
思っていたのなら、
その短い時間の参加で
本当に私の欲求が満たせるのか?
満足できるのか?
会えなかったとして、
話せなかったとして、
滞在時間が短いことを悔やまずに
納得できるのか?
軸っていう言葉のせいで
不変のものという
イメージがありましたが、
軸って不変じゃなくていいんです。
もっとしなやかでいいんです。
自分が何を欲しているのか。
もし思惑通りいかなかったとしても
納得できる選択をしているのか。
そういうことの積み重ねが
気づけば軸と呼ばれるものに
なっていくんではないかなあと
思うのです。
私は自分に軸があるとは
まだ思いません。
でも、自分と対話し、
欲していること、納得したことを
し始めると
人の意見でブレることは
ほとんどなくなってきました。
それがきっと頂いた言葉に
反映されているのではないかなと思います。
イライラせずに笑顔のママでいたい