バンドをするのにはそこそこお金がかかる。
高校1年から今に至るまで、
月々の固定額の小遣いってのもなかったので、
アルバイト禁止の高校だったにも関わらず、
いくつも掛け持ちしながらバンドするためのお金を捻出していた。
短期のものも含めると、
トータル8種類のバイトをしてたことに気がついたから、
そのラインナップを今日は紹介する。
① 個人経営 そば屋 3年間勤務
同級生の親戚のお店ということで、中学卒業と同時に勤務。ホール業務を中心に、簡単な調理補助も。
時給は900円(福井ではそこそこ高め)で、100円単位での端数は切り上げ。
店長が株で儲かってると、2000~5000円のボーナスあり。
賄いがめちゃくちゃうまい。
土日のみの勤務で、1日平均5時間。
みんなめちゃくちゃ良い人で、
バンドでの活動もめちゃくちゃ応援してくれてた。
お店にバンドのポスターを貼ってもらったり、
若奥さんとパートのおばちゃんがライブに来てくれたことも。
逆に、俺個人やバンドでの企画イベントの打ち上げに使うこともあって、
プライベートでもしょっちゅう食べに行ってた。
おすすめメニューは、
もつ煮込みうどん、鴨南蛮そば、カツ磯そば、上カツ丼(一般的なカツ丼。福井ではソースカツ丼が主流なため、「上」を付けて区別。)
まかないで美味かったのは、
チキンカツ丼、担々煮麺、カレーチャーハンなどなど。
とにかくダシがめちゃくちゃ旨いので、
そばうどんはもちろん、上カツ丼や親子丼なども絶品。
最後の出勤のあと、
お母さんに「少ないけどちょっとでも足しにしてのぉ」と、涙ぐみながら茶封筒に入った一万円握らされ、
その直後、若旦那に「心配せんでもぉ、10年後あんたはうちの厨房に立ってるぅ」と冷やかされた。
特にお母さんが、「働いてもらってる」という気持ちを強く持っていて、
逆に、「働かせてもらってる」という意識ができた。
②小企業 お菓子工場 1ヶ月間勤務
姉貴の職場で、繁忙期の年末年始のみの勤務。
時給1000円、姉貴の寮に住み込みで、合計100時間程勤務。
正月三ヶ日の勤務で、お年玉ボーナスで1万円。
工場の2階の寮で、屋内で繋がっており、
朝起きて1階降りて仕事して夜になって部屋戻って飯食って寝るという生活をしていて、
11日間外の空気を吸わなかったこともあった。
羽二重◯るみという、知る人ぞ知る福井の銘菓の工場で、
3分置きに、全国各地から電話がひっきりなしにかかってきてた。
福井駅に分店を持っており、
大晦日に1万個の羽二重くるみを出荷して、夕方には追加入荷の要請が入るほど大盛況。
聞いたところ、
かなり儲かってる会社らしく、年商は2億越えだとも。
従業員は10人程なので、かなり黒字企業である。
姉貴も行ったらしい社員旅行は、
グアムに5泊6日で、旅費は全額会社が負担という太っ腹ぶり。
工場の隣には、「ホワイトハウス」と呼ばれる、社長と専務家族の豪邸が建っている。
業務内容的には、流れ作業の工程を担当する感じだったが、
パートのおばちゃんがなかなかユーモラスで、割と楽しく仕事できた。
③中規模寿司屋チェーン店 5ヶ月間勤務
高校2年の時、知り合いの紹介で勤務開始。
時給850円で、平日の夜に、平均4時間勤務。
ホール業務が主だが、4繁忙期には、細巻きや軍艦など、簡単な調理も担当。
学校にバレる形で辞職。
威勢の良い接客が特徴の店だったが、
それ自体が楽しく、たまに食べられる寿司も美味しかった。
憧れの先輩がいて、
優しくてハツラツとした人で、
その人に褒められる為に頑張って仕事覚えようとしてた。
店長も本当に威勢のいい人だった。
高校を1年生の5月でやめたヤンキーで、
もう一回家庭裁判所呼ばれたらムショ行きってとこまで悪さしてたらしい。
よく当時の武勇伝を話してくれた。
「その頃には俺がこの会社しょっとるやろがで、お前が有名になったらスポンサーでもなんでもやってやるがちゃぁ」とものすごい富山訛りで言われたのを覚えている。
「夢があるなら東京に行け。ジャパニーズドリームは東京にしかない。」と、上京について悩んでた俺を後押ししてくれたのもこの店長。
やばい。
分量が半端なくなるから、残り5つはまた今度にしよう。
今度にさせて。。。
ロックンロール。