「たゆたえども沈まず」なんと洒落たタイトルでしょう
表題の横にはタイトルの原語である‘Fluctuat Nec Mergitur ’というラテン語が書かれています。
この言葉は長い歴史の中で戦争や侵略やセーヌ川の氾濫などの艱難辛苦にも耐えその都度蘇ってきたパリのことを指しているそうです。
そしてこの本の表紙カバーにはフィンセントファンゴッホの「星月夜」が描かれています。
パリとゴッホ、この二つを結び付けるものは何だろう?
そんな疑問を抱きながらこの小説を読み始めました。
舞台はパリ、時代は1886年、登場人物はゴッホとその弟テオ、或はその周辺人物たち・・・
と思いきや、いきなり日本人が登場します
1886年といえば日本では明治19年のこと、フランス語を話す日本人がパリに現れてもおかしくはないのかもしれませんが・・・
シルクハットにフロックコートを不格好に纏った彼、加納重吉が訪ねようとしているのは「若井・林商会」の林忠正<パリの美術市場にジャポニズムという名の嵐をもたらしている風雲児>でした。
この二人の日本人と、オランダからパリに来て画商「グービル商会」の支配人として働くゴッホの弟テオ、そしてその「グービル商会」を退職し聖職者になる夢も潰えて今や絵描きの道しか残されていない兄のフィンセントが四本の糸となり縦に横に絡み合ってこの小説は進行していきます。
パリ時代のフィンセント、英泉の美人画と「タンギー親父」の肖像画、テオの苦悩、フィンセントがアルルで見つけた「日本」、ゴーギャンとの共同生活、破綻、耳切り事件、テオの結婚、療養所で描いた「星月夜」、拳銃自殺、半年後のテオの死・・・
当時、第三共和政下の好景気に沸く芸術の都パリには新興の富裕層が集まり、フランス芸術アカデミー所属の画家の絵画や古典主義の絵画がもてはやされていた、
その一方で、違う表現法、構図も色彩も塗り方も従来の技法を用いず印象で描く「印象派」が深く静かに浸透しつつあった、
そして新興のブルジョワと印象派の画家のどちらをも魅了したのが「日本美術」
(ゴッホにも多大な影響を与えたことはその作品からも証明されている)
そうした状況の中でゴッホ兄弟と日本美術の画商である林忠正(勿論実在の人)との間に接点があった筈という仮説(確たる記録は残されていない)に基づき書かれたのが本作、
40を超える参考文献がずらずらっと並んだ後には<この作品は史実にもとづくフィクション>と明記されていますが、
そこが原田マハさんの凄いところ
またまた華麗なマジックに魅了されてしまいました