何となく、先週末位から相方の波動が低い。

 

話を振っても、ノリが今一つで、生返事。

昨日においては、真面目な議論をしようとしても、否定的な発言ばかり。

(代わりに、うちのお婆ちゃん犬のミミちゃんは、食欲旺盛ですこぶる

調子が良い様子)

 

理由は良く分からないけれど、人のふり見て我がふり直せ、で。

自分も振り返れば、そういう時あるし(というより、確実に私の方が

そういう時多いし)。

 

相手は鏡。

全く同じ波動ということは、そうないけれど、例えパートナーだとしても

波動が合わない時は、距離を置くというのも一つ。

 

人格を否定する訳ではなく、ただ今は波動が合わないということだけ。

感じたこと、思ったことは素直に受取り、余計な先入観を入れず、

ただただ事実を見つめること。そして、今という時に意識をフォーカスさせ、

時間という、川のような流れに身を委ねる。

 

登りがあれば、下りもある。

晴れの日があれば、雨の日もある。

 

自然に抗わず、です。

“怒り”

 

映画ではなく、小説を読んだ。

一気に。平日に、3日位で。

家では普段余り本は読まないのに。

今回は展開が気になって、夜遅くまで。

 

若干ネタばれのため、注意。

 

登場人物は、誰もが世で言う、絵に書いたような幸せな生活を送っている

訳ではない。転びながら、傷つきながら、それでも自分の足で歩こうと

しているように、私には感じられた。

 

誰かを愛したい、守りたい、信じたいと切実に願い、

けど、全て何もかもを受け入れることもできなくて。

 

きっとその思いは、相手に向かっているように見えて、

本当は自分に向ってる。

 

信じられないのは相手じゃない、

自分なんだ。

 

愛したいのは相手じゃなくて、

自分なんだ。

 

だから、どうしようもなく悲しくなる。

表裏一体、それが怒りにもなる。

 

人間にしか持ちえない感情。

人間だから、愚かで間違いを犯す感情。

人間だから、また深く心に刺さる感情。

 

映画、みたいな。

けど、もう少し消化して、DVDレンタル始まるくらいにね。

お店でお冷を注いでくれた時とか、
トイレの入口ですれ違った時にドアを支えてくれた時とか、
ちょっとした場面で、つい“すいません”と口にしてしまう。

これは“ありがとうございます、すいません”という意味を
含んではいるのだけれど、ほんの一瞬の関わり故に“すいま
せん”が先に出てしまう。

ここ数日は、怒りの感情からなかなか抜け出すことが出来ず、
負のオーラをまとってしまっているけれど、“すいません”
ではなく、“ありがとうございます”を意識的に、積極的
に口にするようにしている。

これで自分の中の毒が消えるわけではないのだけど、
少しでも綺麗な言葉や、美しいものに触れていたいと
心から願う。

臭いものにふたをする訳ではないし、
世の中そんなに良いことばかりじゃないかもしれないけど、
人は結局見たいものしか見ていない。

であれば、出来る限り美しいと思えるものと関わりたい。
思考は相変わらず行ったり来たりを繰り返し、
始めたばかりの瞑想を行ってみてもなかなか集中でき
なかったりという状態だけど、まず始めてみなければ、
一歩踏み出してみなければ変われない。

人生あとどれだけ残っているのかは、分からない。
けど、100年も生きるということはまずあり得ない。
宇宙の時間軸からしたら、一瞬しか残っていないんだ。

人として全うに生きつつも、
少しわがままに生きていこう。
“ありがとう”とという言葉と共に。

FBやらTwitterは、諸々繋がりが広がり過ぎており、ダイレクトな書き込

みは若干怖いので、ここでこっそり心のデトックス。

 

実家がゴミ屋敷化しているであろうことは予測がついていた。
実家を出てから約5年半。最初の頃は、近くに住んでいたこと

もあり、何度か足を運んでいたけれど、心理的な距離を取りたい

気持ちもあり、かつ何となく汚れていく実家に足を踏み入れたく

なく、疎遠になってた。引っ越してからはより疎遠になり、スマホに

変えたことにより、LINEが使えない結果、携帯でのやり取りも

ほぼなく。

 

それでも、甥っ子姪っ子がいるお陰か、年始や3月4月5月と続く

誕生日を合同で祝う誕生会やらで年2回程度は会ってはいた。

でも、決して実家に足を踏み入れることはしなかった。

 

今に始まったことではないけれど、傍から見たらひどいのかも

しれないけれど、大人になり結婚して料理やら家事やらを自分

主体でやるようになってから尚更、あの人の作った料理を口に

することに嫌悪を感じ、家に上がり、床を歩くことに拒絶を感じる

ようになった。うちの子(チワワ)なんぞは、絶対に連れていかな

かった。深いところでは近づけることすら嫌な感覚を持っていた

と思う。

 

今回、骨折し入院するという、不測の事態が訪れなかったら、

死ぬまで実家には足を踏み入れなかったかもしれない。

たった7年程前に全面リフォームしたとは思えない惨状に、

正直怒りと悲しみしか湧いてこない。

 

今回業者に頼んで、それなりのお金を使い、ゴミ屋敷を一旦

退治するけれど、一年もしないうちにリバウンドを起こす可能性が

高いと踏んでいる。

 

それでも、ここで一度対処しておかないと死ぬころにはもっと

大変な状態になっているだろう。

 

実家の名義変更を進めたことと
入院による現状確認がほぼ同タイミングだったのは、
恐らく虫の知らせのようなものだったような気がする。

 

誤解を恐れず表現するならば、私は親が死んでも多分悲しい

とは感じない。父親も実家で孤独死という結果で、世間から

見れば、ひどく悲しい結末だったのかもしれないけれど、

仕事を失い、これといった趣味もなく、お酒が友達のような、

先の見えない時間を過ごすより、良かったのではないかと。

 

むしろ、子供の立場からすれば、ボケずに長く床に伏せることも

なく、旅立ってくれたからこそ、最後に感謝出来たのかもしれない

とさえ思う。

 

今まで何度も言っても変わらなかったし、今後も自堕落な生活は

変わらないだろう。

 

ただ、回りに迷惑をかけること、火事を起こすとかは本当やめて
ください、とだけ願う今日この頃。

2012年12月12日。

100年に一度の12並びの誕生日を無事迎え、暖かいメッセージを
頂き、今年も感謝の気持ちで満たされ、幸せな日を送ることが
出来ました。

今年後半は、生活環境もまた変わり、精神的には大分安定した日々を
送ることが出来ています。感謝。


2012年12月21日には、マヤ暦が終わり、新しい時代が始まると言われて
いる。今ある全てが消える終焉ではなく、きっと今あるものが生まれ変
わる再生のような気がする。

どんな環境でも、状況でも、学べることはある。
人と出会い、人に支えられ、物質的ではなく、精神的な豊かさを持ち、
感謝の心を、返していけるような年になれば良いな。
ただ今、昨年11月のハワイへの新婚旅行に行った際に
購入したパワーストーンのブレスレットは、紐の取り換え
の為、ハワイに里帰りしております。


その際、波動?の状態を相方共々見てもらったら、私は
以前より断然良くなっているとのこと。お腹辺りがちょっと
弱いらしい。

外科手術したり、外的要因から精神的ストレスが高かったり
と、本当?と思う部分もあるけれど、私自身の波動が良くなって
いるのであれば、傷も癒えるだろうし、ストレスも自然と軽減
するはず!

時には思い込みも必要。
ハワイからの励ましの言葉に癒されました。


相方は相変わらず好調。
今の状態であれば、+αでタイガーアイを身につけるとより
良くなるらしい。


キャサリンは、そのパワーが必要のない場合は、本人が欲しい
と言っても、「必要ない」と言って売らない人。それは、
色々な人のブログでも共通して評価されている。

ならば!と運び屋やっさんにお願いして、即決。

戻ってくるのは、9月末になる予定。
一つ先の楽しみが増えました。


大きなイベントではなくても、こういうちょっとした楽しみ
が先に待っているだけで、ほんの少しだけ幸せな気分が継続
する。

色々、色々あるけど、こうやって良い波動を作り出せるよう、
意識を持っていこう。
人それぞれ人生には流れと言うものがあると
常々思う。

1年を一つのサイクルとして考えるのであれば、
私の場合、6月~8月はあまり流れが良くないように
感じる。

これは0学占いでも当てはまっており、毎年7月が
0地点。一旦運気が落ちるタイミング。

積極的に行動を起こすより、足元を固めたり、質を高めたり
するのに適した時期らしい。流れに逆らって無理に動くと
痛い目にも合う可能性有。

占いが全てではないので、思い込みと言われればそれまで
だけど、一時期数秘術にはまっており、色々と呼んでいると
やっぱり数字にはそれなりに意味や力があると感じた。


8月は、10数年自分の体の中で燻っていた異物を除去したり、
4年前に沖縄で買った携帯ストラップが入院中に壊れたり、
相方のパワーストーンのブレスレットの紐が切れたり。
公私がリンクし、一つの決断をしたり。


9月に入り、除去手術後の抜糸が無事本日完了したり。
壊れた携帯ストラップの代わりに、相方が出張土産として
京都で買ってきてくれたストラップがめちゃくちゃ自分好み
だったり。
相方と私のパワーストーンのブレスレットは、ちょうどガイド
のやっさんがハワイに戻るタイミングで9月中に直してもらう
ことになったり。
内なる決断に対しての思いの他、分かってもらうことが出来、
また一つの答えが返ってくる状況になったり。


何ら関連性はないかもしれないけれど、物理的なことは
意外と精神的なことや目に見えない流れの象徴だったり
するような。断捨離もある意味一緒だよね。


色々、色々あるけれど、
いい時も悪い時も、あるけれど。

生きてさえいれば、何とかなる。


コラムで学生の就活で鬱になり、自殺する人が年間150人もいるという
記事を見た。少し前には婚活から鬱になる人もいるという。

すぐに就職出来なくたって、結婚しなくたって、人格まで否定された
訳ではない。その渦中にいる人は、自分もそうだったけれど、そうは
思えない気持もわかる。

けど、やっぱり超えてはいけない一線もある。


Hawaiiで体験した、イルカと一緒に泳いだあの瞬間の感覚。
水中でも全く苦しさを感じず、流れにすーっと乗る感じ。

日々の細々したことに気持ちが引っ張られると、どうしても
身動きがとりにくくなるけれど、出来るだけ流れに逆らわず、
少しでも気持ちを楽に、生きれたら、それだけで幸せです。
一つ目のストレス。
足裏がつけず、普通に歩けないってことは
相当のストレスがかかる。

手術より丸2週間。
軽く足裏を上げ、松葉杖で歩き続け、約1週間。
右足のふくらはぎが、パンパンです。

今週末の抜糸が終われば、多少楽にはなるのだろう
けれど、完全に足裏をついて歩けるようになるには、
後2週間ぐらいはかかるんだろうな。

時間が経過するのを待つしかないので、ここは我慢です。


二つ目のストレス。
どんな環境に身を置いても、きっと一番のストレスは
人間関係。特に現在の環境は、色んな人が色んな事を
言う。何が本当で本音なのか、判断に悩むことも多々。

井戸端会議や女子の他愛のない、中身のない話について
行けず、昔から発言が少ないせいか、何を考えているか
分からないと捉えられることが多かった。

色々とガン詰めされている最中だけど、多少のストレス
は生きていく上で必要なことだとは思う。

自分の中で、どこで折り合いをつけるのか、何をファースト
プライオリティとして置くのか。

正直、言葉にしたところで、本当のところは伝わらないと
思う。そういう態度が人から誤解を受ける要因であること
はある程度理解しているものの、どっか自分の心の奥に
あるものと、表出している部分とで“ズレ”も感じている。

言葉にしようとしても出来ないものは、一旦置いておいて
も良いのかもしれない。
人生初の外科手術より一週間。
除去したものは、悪いものではなく、取り除いて終了。

後は、抜糸を待つのみ。

正直、ささっと取って、ちゃっちゃと終わるものだと思って
いたけれど、術後麻酔が切れてからの痛さは、結構しんどかっ
たです。



入院中は暇だよ、と言われ、本やらDVDやらDSやら、諸々持ち込み、
またじっくり考える時間もあるかと思っていたけれど....
何だかんだとあっという間に過ぎてしまい、日常に戻っています。


ただ、色々と煮詰まってしまっていた頭の中が、強制的に何も出来ない
環境に身を置くことで、答えはないけれど、すっきりしたような気が
します。

もしくは、断捨離と一緒で、物理的に長年第二の心臓である足裏に
溜め込んでいた、不純物を除去したことにより、体内からすっきり
したのかもしれないです。


家族や大切な人達のありがたみも、改めて感じることが出来ました。
これから先のことは、分からないけれど、見えない未来への不安で
今を無駄に過ごすより、今ここに、大事な人達と共に入れることに
素直に、純粋に感謝をしつつ、日々を丁寧に過ごしていきたいと改
めて思いました。

生きていれば、良いことも悪いこともある。
人生ブラスマイナス、結果ちょっと、ちょこっとだけ、ブラスで、
笑顔でいられればそれで良い。


抜糸までは若干日常生活に不自由が生じるけれど、これもきっと
必要なことだと思える出来事でした。
まだまだ暑い最中だかれど、暦上では立秋を迎えてる
そのせいか、今日は暑さが和らぎ、外で過ごす時間が
長い方々には、有り難い気候。

朝から晩まで、都心の高層ビルにこもりっきりの生活
だと、日が落ち、風が和らいだことも感じられず。

自然と対峙しながら生きていくのは、それはそれで
きっと大変なこと。それ程の強い精神と肉体を今の
自分が持ち合わせているとは思えず、単なる無いもの
ねだりなのだろうけれど。


ライフスタイルが変わることにより、一番に大切にしたいこと、
誰かからみて、立派なこととか、尊敬出来ることとか、褒められる
こととかじゃなくて。

今の自分にとって、何を大切にしたいのか。

経済的に成長していくことが当たり前だった、高度経済成長期
に、少なくとも私達が生きている間は戻ることはないであろう
現在、何を一番大切にし、守り、日々を生きていくのか。

今改めて考えるべき時期に差し掛かっているのかも。

なんて、30も後半を迎え、人生初の手術・入院の前に色々考える
立秋でした。