久々に、近くの農家がやっている直売所でお野菜を大量購入。

いつも行っている近所の飲み屋で知り合った子が三代目で、

家族経営をしている農家さん。

 

大根葉付で丸々一本、小松菜、トマト、卵、みず菜、からし菜、白菜半分など等。

おまけでブロッコリーと、もう一本大根もつけてくれた。感謝♪

 

これだけ買っても、2千円もいかない。金額だけではなく、地の物旬の物

というのが何より嬉しくて、何より美味しい。

 

お野菜は傷むのも早いので、大量購入してしまうとどう食べるか、調理するか

ちょっとプレッシャーにもなるけれど、今週はこのお野菜を無駄なく使い切りたい。

 

昔は、食材に対して余りこだわりがなく、無駄にしてしまっても何も感じなかった。

働いていたとき、外で昼食を買って全て食べれず、半分以上破棄してしまっても

何とも感じなかったけれど、何かで目にした“食べ物を無駄にするのはお金を捨てて

いるのと同じこと”という文言にはっとさせられたことを覚えている。

 

旬のものを出来るだけ早く、食したほうが良いのはもちろんだけど、

二人暮らしのうちではどうしても残ってしまうこともある。

今は冷凍等の保存方法もある訳だから、今回は全て無駄にせず、使い切りたい。

 

料理や炊事、掃除など、家事全般は本来頭を使う作業。

何気なくやっているようで、お金のやりくりとか、作業の手順とか、本気で取り組むと、

結構頭も体も使う。

 

地の物、旬の物を取り入れつつ、無理せず今のスタイルにあった生活を作っていきたい。

今年と来年では状況も変わっているかもしれないけれど、まずは今、今の瞬間を大切に。

1/12(木)は満月。

ベランダから見えた月はとてもパワフルで、吸い込まれるようだった。

 

数年前から使用している星ダイアリー

10年目を迎えられたということは、私も10年使用しているのかな?

恐らく初回からだった気がするのだけれど。

 

今年は星座毎にバージョンが分かれており、より自分の星座に関する

情報が多い。

 

より先が見えない今の時代に、誰もが未来を知りたいと願い、

空を見上げては月に、星に願う。一年を振り返り、占星術通りの

年だったのかどうかは分からない。けれど、一年が始まる時には

きっとこうなるだろうという、何らかの指針が欲しかったりする。

 

 

 

結局は、どんな運や流れを持っていたとしても、やるかやらないか
であって、じっと何も行動を起こさなければ、風はおきない。

けれど、最近は少し考えや感じ方が変わった。
頑張ることや行動することも必要だと思うのだけれど、
そうしたくないと思う時期もある。

人との出会いは有難いけれど、たまに一人になり、膝抱えて
じっとしていたい時もある。それを以前は不義理をしたようで
後ろめたさを感じたりもしたけれど、自分が快でなければ、
きっと相手も快とはならない。

今年は、より自由になれるという、精神的に。
その意味が自分の中では、何となく分かる気がする。
人として大切なことは忘れずに、私自身がより自由になれるよう、
今年も日々精進していきたい。

続く限り、この手帳を使い続けると思う。
これからも宜しくお願いします。

結婚する前は、ほとんど料理をしなかったけれど、

慣れないながらも何とか日々の食事作りを行っている。

 

数をこなしていくと、段々手際は良くなってくる中で思うのは、

料理というのは“段取り力”と“気持ち”だと感じるようになった。

 

“段取り力”というのは、全体を俯瞰してゴールを見据え、逆算して

段取りを決めていく方法。少し前にはこういう本も流行ったな。

内容は余り覚えていないけど。

 

それ程広くないキッチンの中で、料理が出来上がった段階で

出来るだけ、ごみが散らかっておらず、洗物が少なくなっている

状態が自分にとっては、ベスト。

 

調味料の置き場に関しても、料理途中で出しっ放しになり、

最後に一気に片付けるより、出すしまうの作業を一連の

動きの中に収める銅線を考えて、収納するのが良い。

 

一連の動きに無駄がなく、最後きれいにフィニッシュすると

本当に気持ちが良い。

 

“気持ち”に関しては、テクニックではない。

今は時間的にも余裕があるので、ゆったりした気持ちで

料理に向き合えるけれど、仕事で忙しい時、やらなければ

という義務感で取り組むと、やっぱり味が雑になる。

 

パートナーは、基本的に味に対して何も言わないけれど、

私自身が仕上がった時の味の違いを感じる。

 

“料理の一番のスパイスは愛情”とはいうけれど、実際

メンタルの安定不安定さによって味が変わるというのは

あることだと思う。

 

これからまた、生活スタイルは変わっていくだろうけれど、

どちらかというと得意な段取り力を駆使して、精神的な余裕を

持ち続けられるようにしたい。

 

やりたくないときは、清くやらない!ということも含めて。

基本無理はしない、が今のモットーです。

最近はミニマリストという言葉が流行っているけれど、私自身、昔から、

出来るだけ物が少なく、出来ればトランク一つぐらいで

生きて行きたいと思っていた。なぜそう思ったのかは、良く分からない

けれど、多分実家の環境が昔から物が多く、私にとっては落ち着かない

環境だったことに対する反発なのかもしれない。

 

加えて8年前に父が亡くなった時の物の処分の苦労や

昨年母が骨折で入院した際の実家のごみ屋敷化の惨状に対しての

対応の苦労等、人間死んだら何も持っていけず、結果周りに迷惑を

かけるという現状を目の当たりにし、より物を最小限にしたいと感じる

ようになった。

 

けど、根本的に整理整頓や片付けは苦手。

ここ数年、2年に一度は引越しを繰り返しているけれど、片付けていると

最終的には面倒になり、捨てるのも面倒になり、ちゃんと仕分けもせず、

何件もはしごしている荷物もいくつかあり。

 

ただ、物欲はさほどないので、物は根本的に増えないことが功を奏しているのか

基本物は多くない。パートナーも特に物を抱え込むような趣味はないので、

見かけ上は物はさほど多くない。

 

けど、見えないところにしまい込んでいる書類やら、本やらが最近どうにも

こうにも気になっている。人間の体もそうだけれど、見かけは健康そうに見えても

中身が健康ではないと何となくすっきりしない。家もそんな感じなのかな。

 

今までは、本を読んだり、雑誌を見たり、テクニックばかりを取り込もうとして

いたんだけれど、現状時間があり、ゆっくりと物事を進められる今、一日一箇所

出来るところから少しずつ理想的なスタイルを作っていける気がする。

 

家は、生き方を反映すると思う。

だからこそ、人から見てどうこうではなく、自分たちが快適と思える空間を作りたい。

 

片づけを始めてから、早速効果が一つ。

ダイニングテーブルの上を片付けたら、パートナーも会社から帰ってきてから出す

小物を乱雑に置かなくなった♪お互いに少しずつ気持ちの良い空間を作ろう。

数ヶ月前に“自然ぐすり”という本を買った。

 

元々出来るだけ、抗生物質等の薬には頼りたくない方。

 

それと数年に一回ぐらいの割合で、足の付け根のリンパが

腫れることがあり、これが本当に痛い。。。初めて腫れた時は、

不安で病院に行ったのだけれど、麻酔もなく患部を直接切られ、

中の膿を強制的に排出される。。。これには本当泣いた。

 

膿を出し切らない限り、なかなか自然には治らず、歩くたび、

座るたび、動くたびに痛い。それ以降は、“あ、これはやばい、来そう”

というのは大体分かるので、何とか自己流で対処している。

 

結局は、リンパ節が詰まり、膿が溜まってしまうのが原因で、

体内からの不純物排出が上手くいっていないのだと思う。

自己解析だけど。

 

加えて、鼻炎アレルギーもあり、こっちはもう薬でのコントロールしかなく、

仕方なく、症状が悪化した場合は、服用している。

 

人生も後半戦が始まり、対処療法ではなく、もっと根本的に体を変えて

行きたいと思っていた時に、手にした本だった。義母が自営の商売を

畳んだ後、マクロビにはまっていたのも少し影響があるかも。ちょっと

行き過ぎていて、全てはついていけないけど。

 

そんな中、見つけたびわ茶。

その抗がん作用は、国際的にも認められており、

抗菌や鎮痛作用のある成分も含まれているという。

 

味に関しては、物によって色々なのだろうし、美味しくないという意見も

ちらほら目に付くけれど、今飲んでいる“これ”は味に癖がほとんどない。

値段もそれ程高くはなく、近所のオーガニック専門店で購入し、大体1.6L

に対し二袋を朝煮出して、冷やし過ぎないように常温で保存し、一日で

飲みきっている。

 

びわ茶効果なのかは分からないけれど、一週間程前から微妙に痛む

左胸脇の鈍痛も飲んでいると、軽くなっている気がする。

 

冬は汗をかかないから、水分を取る機会が少なくなってしまうけれど、

意識的に湿度を見ていると、夏よりも乾燥をしているのが分かる。

また、風邪予防に関しても、うがい手洗いはもちろんなのだけれど、

こまめに水分を取ることにより、ウィルスを流し込むことが効果的なの

だという。

 

本に出ていることを全て取り込むのは、なかなか難しいけれど、

自分の置かれた環境の中で無理せず、出来ることを少しずつ

生活に取り入れていきたい。長生きしたいというは思わないけれど、

生きている間は長患いをせずに生きられるように、日々一歩ずつ。

映画“ペット”がレンタル開始されていたので、3連休を利用し、

自宅で鑑賞。

 

うん、とっても良かった。

動物同士の友情も良かったし、反面人間の勝手により不幸な

境遇に置かれている子達もいる。実際言葉は発さないけれど、

きっとこんな風に思っているんじゃないかなとか、実は留守中は

あんな風に過ごしていたり!?なんて、想像してちょっと笑えたり。

 

昨年11月に13年連れ添った、わが子(チワワ)が旅立ち、直後

だったらきっと、思い出しては辛くて観れなかったかも。

12月31日に四十九日を迎え、無事送り出すことが出来た今、

心境にも若干の変化が生まれた、今のタイミングだから微笑ましく

観れたと思う。

 

我が愛娘は、数年前から心臓を患い、最期の1年半は腎臓も悪くなり、

毎週末点滴のため、病院通いだった。年齢のせいもあったとは思うけれど、

余り食事も取れず、寝ている時間が長くなっていた。

 

最期の方は、もう余り無理しなくていいよ、辛かったらもう降りても

大丈夫だよという気持ちもあった。

 

最期の最期は、肺水腫を患ってしまい、息が出来ない瞬間があったのか、

何度か痙攣のような発作が起こり、その日に病院に行って、出来る限りの

対処をしてもらったけれど、回復することはなく、病院から戻って約2時間程

して、私の腕の中で息を引き取った。唯一、良かったと思えるのは、たった

一人で逝かせることなく、家族共に見送ることが出来たことだと思う。

 

ある人のブログに、12歳の子が病気を患い、それが発見できたのが、

ご自身が病院の先生に検査をお願いしたことがきっかけだったと書かれて

いた。すでに一部が機能不全になっている内臓は戻らず、“なぜもっと早く

病院側が見つけられないのか、病気になってからの治療は出来るけれど、

それでは遅い”という趣旨のことを書かれていた。

 

気持ちは分かる。もっと早く発見出来れば、出来たことはもっともっとあった

のではないかという思い。

 

ただ、少し違和感も感じた。

同じ動物である人間だって、結局は年一回の健康診断等で定期的に体の

状態をチェックしている。だからこそ、早期発見が叶う訳で、何もしなければ、

結局症状が出てからでなければ、分からないものだと思う。

 

もし、それを願うのであれば、ペットも人間と同じように年一回の健康診断を

飼い主自らお願いするべきだし、人間年齢で40歳に当たる6歳以降は、もっと

細かい精密検査を行うべきだろうし、病気に備えて保険に入っておくなど、

人間同様の対応をするべきだと思った。

 

それでも、人間同様病気になることはあるし、突然旅立つ時だってある。

旅立った愛娘に対して、もっと出来たことがあったのではと思う気持ちは

あるけれど、あの時点で出来ることはしたと思うし、愛娘にとってはこれが

宿命だったのだろうと思う。

 

1年は喪に服すつもりだけれど、もし今後縁があって、出会いがあったと

したら、上記のことを実施して行こう。

 

ペットという言葉が正しい表現なのかさえ、分からないけれど、

今年も一人でも幸せな子たちが増えますように。心から願います。

年が明けて、あっという間にほぼ一週間が経過。

今はお仕事をお休みしているので、特別お休みが貴重な訳ではないけれど、

逆に親戚の集まりとか、予定があり、気がつけばという感覚です。

 

昨年前半は、仕事がどうなるのか分からず、不安な状況が続いていた。

何かが具体的な出来事があったというより、不安で不安定だったなという

感覚。

 

後半は、家族のことでばたばたし、プライベートの方が慌しかった。

13年連れ添ったわが子(チワワ)との別れもあり、その事により周りから

心配頂き、いつも以上に人との関わりが深かったように思う。

 

とても感謝をしているのだけれど、年末に向けて何となく、2017年からは

少しリズムを変えていきたいという気持ちが沸々と湧いてきていた。

今まで惹かれていたものに、何となく違和感を感じていたり。

なぜ?と言われても、これは心が感じることだから、上手く説明は

出来ない問題。

 

改めて、これからの仕事(生き方)も考えていこうと思う。

具体的にこれというものはまだ見えてきていないけれど、

一つ、日々ブログを書いていこうかなと思っている。

 

アウトプットの場があれば、インプットを意識するようになる。

クローズされた日記という場ではなく、公の場であれば、

表現も変わってくる。

 

テレビで“年始に目標を決めるか?”という質問に対し、

“大まかなことは決めるけれど、細かいことは決めず、

目の前の目標をクリアしていくことを意識している”

という回答が多かった。ほとんど俳優さんだったけど。

 

しっくりきた。

人間いつ死ぬか分からない。

まずは、日々を大切にし、目の前の生活を丁寧に生きていることでしか、

その先にあるものは見えないのだろうと、人生の折り返しを向かえてから、

また一つ年を重ねた今、そんな風に感じるようになった。

 

過ごした年月と共に、人間感じ方も考え方も変わってくる。

それを成長と呼ぶのかどうかは分からないけれど、

当たり前のことと捉え、正しいか間違っているかではなく、

否定されたとしても、快か不快かを判断基準にしていきたいです。

人との出会いというのは不思議なもので。

 

何年経っても繋がる人は繋がるけれど、

たった一度で終わる人もいる。

 

どちらも、何らかのご縁があるのだろうとは思うのだけれど、

けれどやっぱり、数年ぶりにでも思い出してもらえて、声かけて

もらえて、その頃と変わらない時間を、たったの数時間でも過ごす

ことが出来て。

 

いくつになっても、そんな時間が過ごせることは、とても幸せな

ことだと改めて感じる。

 

今いる環境は辛くとも、先の不安は拭えなくとも、

誤解を恐れずに言えば、ぎりぎりにでも生きていられるのは、

きっとこういうことがあるからだろうなと。

 

日常に埋もれてしまうと、どうしても見えなくなることが多くなる。

やらなきゃいけないこと、義務や義理、社会の常識に囚われて、

自分の心が感じることを見失う。

 

何がやりたかったのだろう?

何が好きだったのだろう?

何にワクワクしていたのだろう?

今、その全てに通ずるものは何?

 

そんな風に、遠く彼方に行ってしまった何かを、今と過去を行ったり

来たりしながら、虚空を掴むように、手を伸ばし、それでも掴めずに

もがきながら、今を生きている。

 

ワクワクしながら生きている人に出会うと、ちょっと劣等感を持って

しまうけれど、出会いから気付かせてもらっていることは、もっと

前向きなメッセージのはず。

 

生きている“今”をもう一度見つめ直しながら、一歩一歩また

足を踏み出そう。“自分”という唯一無二の存在を信じられるのは

自分しかいないはずだから。

他人にとっては、気の良い場所であっても、自分にとっては

居心地の悪い場所というのはある。

 

そこに無理して留まる事は、ないような気がする。

むしろ、それは周りにも余り良い影響を与えない。

 

いい加減とか、逃げだとか、色々言う人はいるのだろうけれど、

全ての責任は自分が取るという覚悟があるのであれば、

自身の決断は決して悪いことではない。

 

人生は一瞬。

長い、と思うのは、自然の一部である人間が勝手に設定した時間感覚。

 

空を見る。

雲を見る。

星を見る。

上を見る。

 

今見ているものは、今この瞬間の光ではないかも知れなけれど、

見ている自分は今この瞬間の自分でしかない。

 

思うがままに、

生きてみよう。

正直、自分の中では答えが出ている。

これ以上続けても、この先の道はないと。

 

今の選択をしたことは後悔していない。

けれど、進もうとした道が違う道になってしまったのであれば、

それは再考する必要がある。

 

前向きになれるような状況ではないけれど、

下がったら、今度は上がるのみ。

 

1つの選択を捨てたら、別の選択が出来るという自由を手に入れたことになる。

そう考えたら、違う空が見えてくる。

 

無理に前向きになる必要はない。

辛い、悲しい、悔しい。。。

一見マイナスに見える感情だって、それが素直な感情であれば

バイアスを入れずに、そのまま受け取ることも必要な気がする。

 

惰性で続けていても、命を無駄にしているような気がするのであれば

それは自分に対して、失礼なことになる。

 

待ちの時間は、苦痛。

結果のみ教えてくれれば、別に良いと思う。

別に訴えたりしませんよ。

 

自分の人生を生きる。

自分の道を進む。