しばらく書くことをしていなかった。。
頭に思うことはたくさんあっても、文章にしてこなかった。
考えは堂々巡りでモヤモヤしたまま。
不器用でも、下手でも、じぶんの言葉で表現することが大切だと思う。今日からリハビリ開始です。
最後にブログを書いてから、"発酵”は市民権を得たと思う。広告で"発酵”という言葉が頻繁に使われている。美容雑誌、健康本、研究本、新聞、化粧品、健康食品、お菓子、調味料などの食品などなど。
消費者にも体にいいという意識が芽生えてきた。
発酵は化学反応メカニズムのことで、その質にもバリエーションがあることも多く語られている。自然発酵、天然酵母など速醸的な発酵と差別化する言葉もよく見かける。そして発酵が食品だけでなく、生き方にも語られるようになっている。ただ、まだ「微生物」という言葉は市民権を得ていないように思う。気持ち悪いという感情が残るようだ。発酵は微生物の活動あって成り立つのだが、微生物と共生するとか微生物が心地よい環境という表現を受け入れられる人口はまだ限れている。トレンド的に発酵を受け入れ、その本来の生き様へ残る拒否反応は、少し危うさを感じる。
目に見えないということが恐ろしいのはよくわかる。見えないものを信じるというのは宗教に近い。しかし、それが自然の営みであり、私たちはその中でズーーーート生きてきているのである。
発酵と生きる事はすでに万人に与えられた環境で、そこで微生物と仲良くできるか否かが、発酵(人間に有益)と腐敗(人間に有害)の分かれ目となる。
とはいえ、人間はもともと矛盾を抱えた生き物で善玉菌と悪玉菌の両方を持つ。各自が独自の菌のバランスを見つけていくこと=各人の生き様とも言える。バランス探しは理性と感性が活用される。理性は発酵の本来の姿を理解し、コントロールしないようにすることが大切だし、感性は微生物の生業を受け入れる感覚を鍛えていくことが重要に思う。
都会に住んでいると、住環境は除菌し、西洋医学では病気になれば抗生物質で全ての菌を殺すという概念が普通だ。日本ではさらに無臭が好まれる。(生き物に無臭なんていうのはないのに。。)
だからこそ改めて発酵というコンセプトを声高々に唱え、無菌とは真逆の私たちが先祖代々行ってきている微生物の共存に耳を傾ける必要がある。
当たり前のことが当たり前でなくなっていく世の中で、数年前は発酵がいかにも新しいコンセプトのように流行った。これを流行りではなく、私たちの営みの一部として日々大切にしていきたいと思う今日この頃。




