今、毎朝答えている
365日の魔法の質問。

 

今日の質問に
わたしの感情が反応したから
 
ここで深掘りしていこうと思う。

 

 

↓ 今日のnoteはこれ

 

 


 

まずね、この問いかけをしてみたとき。
 
note読んでもらったら分かるけど
答えがスッと出てこなかった。
 
  
無理に答えを出そうとするのは
 
頭で考えた答えであって
肚の内からの答えじゃないっていう経験済みだから
 
答えが出ないってところを
受け止めてみた。
 
 
『 今は、ない 』

 

 

  
書き進めていくと
次の気持ちが湧いてきた。

 

協働ってなんなん。

 

 

同じ目的に向かって
みんなで創造していく。
 
このイメージに
わたしの中であまりいいイメージがなかった。
 
 

  
みんなが合わせていく感じ。
 
すり合わせていく、話し合い。
 
自分の本当にやりたいことから
だんだん離れていく感じがした。
 
 

 
 
だから

概念を変えてみた。
 
 

 

もし、同じ目的に向かっていくのに
 
みんなが合わせるんじゃなくて
擦り合わせるんじゃなくて

 

それぞれの得意を活かして
よりよいものが想像できるとしたら?

 

 

 

それなら

いいよね。

 

 

 

今日のnoteの問いかけでは
 
『 ボルテックス空間の創造 』をこの地球上でやりたい。
 
ボルテックス空間。

 

つまり、わたしがいう光の世界の創造。

 

 

 

それを、みんなと共にやるということが
 
一緒にやるということでなく

それぞれがやるということが、わたしにとっての共にやるだった。
 
ひとりひとりが光を放ち
その波紋を広げていく。
 
そしたら
気付いたら、光の溢れる世界になっていた。
 
最高じゃん。

 

 

 

『 協働 』

に対するイメージが変わりつつある。

 

 

 

それでも

どこかで、わたしが騒ぐ。

 

肚まで落ちない。
意識が拡大した感じがしない。

 

ということは、まだ私の中の真実がある。

 

 

 

 

どんな抵抗が眠っているゆえの、つっかえなんだろう。

 

さらに深掘りしていく。

 

 

 

 

そしたらさ、noteの最後に書いてるところに辿り着いた。

『 色々面倒だから、1人でできる分でいい 』
 
そんな気持ちが見え隠れした。

 


 
これまでなら
人と関わることに対する恐れがあるのかな

 
そこを超えていこう
 
そう思って
人と関わることをやってきた。

 

その結果、

”人の前でも妥協せずに意見を言ってなかった”
 
自分が勝手にね、
相手の意見を採用しなきゃっていう無意識が働いて。
 
人といたら、自分の本心とずれてしまう。

 

だから、やらない。

 

じゃぁ、

 

人と一緒にやるときも
本当に納得するまで、自分の意思を伝え続けたらいいじゃないか。

 

 
 
でも今回は、違う気がする。

 

その答えが、しっくりこないんだ。

 
人と関わることで

自分が失われる恐れじゃない。
 
じゃぁ、何??

 
 
  
 
自由にしたい
自分のペースで動きたい
自分の好きにしたい
  

 
自分が失われる恐れではなく

自分の好きをやることは
相手を尊重しないことだから悪。
 
だからやるなら、1人でやる。

 
そんなジャッジがあることが出てきた。

 

 

 

なるほどね。
 
だから

 

強い思いやプロの視点を持っている人がいると
そこへ自分の意見を伝えられない。

 

でも

自分の意見も曲げられず、納得できない。

 

相手の意見を尊重できない、

そんな自分が嫌だったんだなぁ。

 

 

 

頑固な自分。

こだわりが強い自分。

 

そんな自分が嫌だった。

 

自己主張が強くて

相手の意見に聞く耳持てない自分。

 


 
そこへの恐れ。
そんなんじゃ、良いわけないって、恐れ。
 

 

 

これさ、
過去の経験からのことなんだ。

 

自分の意見を言うと
「違うでしょ!」って抑えられた記憶。

 

相手の意見を正確に復唱できるまで
怒られ続けてきた記憶。

 

 

もうさ、

怒られ続けるの、嫌じゃん。

 

 

こんな時間過ごしてるなら
好きなことやって、楽しい時間過ごしたいじゃん。

 

だから
自分の思っていることを言うのをやめて
相手の思うように、好きにしていいですよーって意見を採用してきた。
  

 

 

その意見が

今も頭の中で鳴り響く。

 

少しでも

相手が思っていることと違ったら

わたしがひくってことを、採用しちゃってた。

 

それが無意識に

我慢していた時は、気付きもしていなかったけど。

 

無意識から意識下に上がってきた時に。

 

我慢ができなくなっていて

すり合わせや、話し合いが嫌いになった。

 

誰かと一緒に

ひとつのことをやることが苦痛でしかなくなった。

 

 

 

 

誰かと話し合いしたり
計画立てたりする時間すら、過ごしたくなくて。

 

1人で
楽しい時間を満喫した方がいい。

 

そう思っていたんだなぁ。

 

 

  

そしてそんな風に思う自分が、嫌だった。

 

1人でやるより
みんなとやった方が楽しいよね。

 

みんなでやった方が、1人でできないことやれるよね。
 
大変さもあるけど、その中に共に味わえる楽しさもあるよね。

 

 

 

そんな、一般的に言われている声が
わたしの中で鳴り響くんだ。

 

 

 

 

わたしは、1人が楽しいのに。

 

 

 

これは

いつも1人が楽しいってわけじゃない。

 

お茶したり

意味のない話をしたり

意識の話をしたり

深い話をしたり

 

そんなのは、大好き。

 

 

 

でも何かをやるとき。

 

みんなで一緒に!

っていうのは、息苦しいんだ。
 
 

それは、視野の狭いことだと思って
 
もっと成長しなよ、大人になりなよ、

次のステップに進みなよって、自分を責めてくる声が響く。

 

 

でもその声は

よし、進もう!って思える内からの声ではなく
自分を焦らせてきたり、ダメ出ししてくる頭の声。

 

 

 

 
そこを、許可してみたら?

わたし。
 

 

 


そんなスタイルでできるやり方で
そんなスタイルで共感してくれる人たちもいると思うよ。

 
そんな人たちと、やったらいいじゃないか。

 

 

こんな世界を創りたい
 

そこへのこだわりが強いからこそ

ちょっとでも妥協はできない頑固者だからこそ

 

作れる世界があるんじゃない?

 

 

 

 

中途半端だから、苦しいんだ。

 

頑固なのに

相手を尊重しようとしたり

相手に合わせようとするから、苦しいんだよ。

 
 
もっと貫け!

 

わたしの世界は、これなんですって
誰がみても分かるように。 

 

もっと飛び出せ!

 

わたしも一緒に
その世界を創っていきたいって

思ってくれる人が現れるように。

 

 

 

『 中途半端にやってんじゃねーよ 』

 

そんな声が聞こえてきた。

 

迷ってないで、

とっとと自分と一致しな。

 

 

野口久美

 


 

 

 

 
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