野口久美です。
マイヒストリーの続きです。
【マイヒストリーを最初から読みたい方はこちら】
・ 活発な女の子、夢はお絵描きやさん【マイヒストリー① 幼少期】
【前回の記事・マイヒストリーはこちら】
・ バレーボールとの出会い、思ったことははっきり言う子【マイヒストリー③ 小学校高学年】
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今回は、中学時代のバレーに関することを書きます。
小学校を卒業する前。
中学校のバレー部の監督が、小学校のバレー部の練習へ来てスカウトをする、という行事がありました。
毎年あっていたようです。
私を含めた何人かが、中学校でバレー部に入る様に進められました。
中学校へと入学する前までに、いろんな噂を聞きました。
「入ってくるな」と言われているとかね。
なので
中学校へ入る時、私は身を潜めました。笑
先輩が怖かったんですね。
今思えば、単なる噂なだけで、直接言われたわけでもなんでもない。
どこまで本当か、どこまで嘘かなんて分からない。
でも、あの時は怖かったなぁー。
入学と同時に
人が変わった様に話さなくなりました。
人の様子を伺い、相手がどんなことを思っているのかを読み取ろうとしました。
職員室に行くたびに、バレーの監督から声をかけられました。
あと2人、私と一緒に声をかけられていた人がいたのですが、監督の行為が気に入らないと、その2人はバレー部には入らないと決めていました。
私は、迷っていました。
バレーもやりたいけど、怖い。
部活には絶対何かしら入らなければいけなかったので、吹奏楽部を見学に行きました。
音楽室の窓からは、体育館が見えました。
バレー部の声が聞こえてきて、そっちをじーっと見ていたら、一緒に吹奏楽を見に行った友達が、「私もバレー部気になっているんだよね」と言ってくれました。
次の日、バレー部を見学しに行きました。
ひとつ上の先輩たちの目線がちょっと怖かったけど(何もされていません。笑)
ふたつ上の先輩たちはとっても優しく接してくださいました。
基礎練習をしただけでしたが、やっぱりバレー部は楽しくて、私はバレー部に入ることにしました。
2つ上の先輩たちは九州大会に出場するくらい強く、ひとつ上の先輩たちも県でベスト4。
練習試合も九州トップレベルのチームとさせてもらうこともあり、練習はめちゃくちゃきつかった!
年に6日(お盆・お正月)のみ、休み。
筋トレから基礎練習も叩き込まれましたし、体育会系の教育を受けました。
入ってしまえば先輩たちは優しくて、あの噂はなんだったんだろうという感じでした。
夏になり、1つ上のチームの代になって、ちょこちょこと試合に出してもらえる様になりました。
が、これが私にとって精神的にきつかった。。
1つ上の先輩たちは6人、バレーは6人制です。
私が交代して入るたびに、なんで?!っていう感情が飛んできました。
別に何か言われているわけでも
私に対して思われているわけでもないこともわかっていましたが、なんか心地よくなかった。
私が悪いことをしている気持ちになっていました。
試合に出してもらえるのは嬉しいし
先輩からナイストス!と褒めてもらえるのもめっちゃ嬉しいし
何より相手のブロックをいかに振るか!がとても楽しい。
が、心の奥底で、みんなの感情が気になるわけです。
私がバレー部に入っていなかったらよかったのかなぁ…とか、入部当初の記憶がよぎります。
私から【レギュラーをとるぞ!!】という熱意が感じられなかった んでしょうね。
ある時、監督から聞かれました。
「レギュラーになりたい!とか思わんのか?」って。
「なりたい…ですが、交代でいいです…」と答えた気がします。
弱気な発言ね。
多分、監督をがっかりさせたでしょう。
レギュラー争いというものでゴタゴタなるくらいなら、レギュラーにはならない方が良い。
・・・完全に今の私の性格の完成です。
ここかぁ〜。
そんな弱気な発言をした私のご希望通り、レギュラーになることはありませんでした。
中2の夏、
ひとつ上のチームの中体連が終わって、私たちの世代になりました。
私はキャプテンになりました。
セッターの私の身長が152㎝、チームで2番目に高いというチビッ子チーム。
バレーをしたことがある方はわかると思いますが、中学校ではエース168㎝、セッターでも158㎝くらいが多いんじゃないかなあ?
チームで2人しかネットから手が出る人がおらず(どんなチームやぁ〜!)
チームの戦略は
サーブで崩し、チャンスをもらい、相手のミスを待つ!
忘れもしない。笑
こんなチビッコチームでしたが、強い先輩たちと練習をさせてもらっていたことと、監督のおかげで、地区では2位になれるくらいのチームでした。
サーブ練習とレシーブ練習、半端なかったです。
他のチームからしたら、
粘り強い、ボールを床に落とさない、嫌なチームだったでしょうね(笑)
ここで、根性とメンタルを鍛えられました。
アタッカーが一人しかいなかったので、トスを上げるのは全然楽しくなかったですが、ボールを落とさないことにやりがいがありました。
みんなでつないだボール、絶対落とさない。
ジャンプ力も鍛えました。
身長は伸ばせないけど、ジャンプ力なら伸ばせる。
過酷な練習後、家でも毎日筋トレ、ジャンプ練習もし、お風呂で浴槽に足をかけて腹筋をしていました。
セッターをしていたので
トスにふられることはほとんどなく、ブロックも案外得意でした。
毎回130%くらいの力で飛ぶので、体力も結構減ります。
168㎝とかある子のアタックを止めた時は、後ろに吹っ飛びます。笑
めっちゃ嬉しいけどね♪
・環境を言い訳にしない
・やれることをやる力
・諦めない根性
は、このバレーから学んだことです♡
キャプテンをさせてもらったことでも、たくさんの学びをさせてもらいました。
どんな時でも責任取らされるのは私。
練習時代でコテンパンだった時、ビンタされてベンチの椅子に突っ込んで倒れたこともあります。
なぜ私?という反面、
バレーは流れが大事ですので、チームの雰囲気を盛り上げられなかったのは全部私の責任 といつも思っていました。
(お・・・ここなんかポイントな気がする・・・なんか出てきたら、また書きます)
また、叩かれていたのは私だけだったので
(両親が厳しくしてくださいとお願いしていたのは、うちだけ。笑)
メンバーからは「いいよね、期待されて」と言われる…。えーーー。。
後輩が入ってくるときにはありましたよ、
「入ってくるな」問題。
実際に言っている姿を見たときに、まじかっ!と思い、話をゆっくりして、一緒に不安を取り除きました。
人を攻撃したくなる時って
自分が不安だったり、守るためなんだよね。
入ってくるな問題も結局、入ってきたらレギュラーから外されるかもしれない…という不安からなるもの。
これに関しても
「久美には分からんのよ」って言われたこともあるけど、そうかもないけど。
でも、言われる方の気持ちにもなってよって、正直思いました。
不安な気持ちを人に向けるのではなく
不安な気持ちをフッとばすくらい、今できること、行動にエネルギーを向けるといいよね。
これは仕事でも一緒だよね♪
いろいろあったバレー部生活ですが
私は、このバレーがあったから学校へ行っていたというほどの バレー馬鹿 です。
バレーのおかげで救われていた面がたくさんあります。
なので
今回こうしてバレーのみを取り上げて書くことがなかったら、気付いていなかったところもたくさんありました。
いろいろあったけど
バレーをしている時はめちゃくちゃ楽しくて
きつい練習も、ビンタされることも、人間関係でちょこっとあっても、それを上回る楽しさがあったから。
改めて向き合うことができて、よかったです。
私の人生の大きな部分を占めた "バレーボール"。
バレー馬鹿だった私にとって、バレーは楽しかっただけの記憶だった。
でも今回振り返りをすることで
そこに眠っていた『今の私』を作ったものがたくさん眠っていました。
気付くことで、浄化ができる。
浄化していくことで
複雑な隠れた感情たちがなくなっていき、本当に楽しい記憶に変わる。
さて。
バレーのお話はこの辺まで。
次回は、中学時代・バレー以外のお話。
私の中から完全に抹消されていた出来事【マイヒストリー⑤ 番外編・小6〜中1】へ、つづく。
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