誰かのブログを見て、わたしも観てみました。
わたしはうまくここに書けなかったけど
この方はすごく上手に書かれてます…!!
息子も発達障害です。
軽度なので手帳も診察も今はありません。
この「あみこ」ちゃんは、手帳もらう程度なんじゃないかな…。
息子の2歳、3歳くらいの感じで
小学生になってる。
息子は言葉が通じるようになってから、育てにくさは徐々に薄れていったけど
彼という「他人」と暮らすようになって
他人目線で見るとおかしいことが多々あるんだなーと気付くことがあります。
わたしだけだと、もう「そういうものだ」と思ってしまっているので
映画の中に、継母が死産してしまい
その子のお墓を庭に作り
継母が精神を病んでしまうシーンがあるけど
息子も、彼が連れてきたわんこが亡くなった時
「死んでよかったね」と言いました。
息子的には「もう苦しくないね」とか「天国で幸せにね」という意味なんだろうけど
もちろん彼は激怒でした
こういう、言葉選びのまずさというか
こうしたらどうなるか、こう言ったらどう思うかという想像力が乏しいんだよな。
わたしなら、母親なら、こう言ってるけどそういう意味で言ってない、と分かるけどね
この「親だから理解してます」も、彼からしたら問題なんだそうで
いつまでも子供の理解者が親だけじゃ生きていけん、理解してるから許すというのは違う、外でもそれが通用すると思って困るのは子供だよ
と言われます。ど正論。
こういう考えを冷たいな、理解してくれないな、と思うこともあったけど、近頃は前向きに受け止めています。
と、なんだかやっぱりマイナスな面ばかり思い浮かんでしまいますが
あみこちゃんも、息子も
人の心に鈍感なところがあるからなのか
あまり気にせずノー天気なところがあって
わたしはそういうところに救われます。
わたしが「こうでなきゃ」とギリっと握っていることも、息子からしたら興味なかったり。
誰にでも構わず話せたり仲良くなれるのは
コミュ障の母からしたら大きな魅力だなと。
「大丈夫じゃ!」と笑える強さは
大きな武器なのかもしれません。
だけど、やっぱり親としては
わたし意外にも息子を理解してくれて、受け入れてもらえる人生であればいいなと願ってしまうんですけどね。