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場面緘黙症のむすめ(4年生)は、特別支援学級に転籍してようやく居場所を見つけ本来の自分を取りもどしつつあります。話せる場所と人が増えてきました。
定型発達のむすこ(2年生)はまさに去年のむすめ状態で不登校真っ只中です。一日中ゲームに没頭していましたが、少しずつ外の世界に目を向け始めました。
わたしは『腐らない』をスローガンに日々奮闘しています。
※書いてたら熱くなってしまい今日は文章長めです
わたしはほぼ毎日学校に通っています
特別支援学級のむすめを学校に送ったり、不登校のむすこがたまに学校行く時に付き添ったり。
だから、そこらの親御さんより学校の様子をよく見ていると思います観察が好きなんです
毎日学校に付き添うのは大変な時もありますが、先生達や生徒達の顔が分かるし、学校内の様子を知ることができるので、今となっては悪いことばかりではありません以前は嫌で仕方ありませんでしたよ
だからこそ繊細な子どもや個性豊かな子どもは学校教育が合わないんだろうなと思います。
個別性を重視するという割に、わたしが子どもの頃に受けた学校教育から何ら変わっていない印象を受けます。いつまで経っても学校教育は昭和感が強い
そもそも、35人の生徒に対し担任の先生が1人っていうのも、もはや無理があります。
どんなに要領が良くて優しい先生でも大変すぎるでしょ…。そりゃだんだんイライラしてくるわサポートの先生が少なすぎる
やはり絶対的な人員不足は見て取れます。
そこを解決しない限り個別性を重視した学校教育は程遠い気がしてなりません。
もちろんルールや約束事は大切だと思います。
これから社会で生きていくためには秩序が必要ですからね。
でもね、子どもを抑圧したり才能や発想を潰そうとする学校教育には違和感しかありません。
言っておきますが、授業参観の先生と生徒はよそ行きの顔ですよ
学校での様子を見ていて1番悲しくなるのは、先生達の命令形の口調です
〇〇しなさい!!
廊下を走るな!!
ちゃんと話を聞きなさい!!
静かにしなさい!!
急いで!!
早くして!!
などなど、多すぎてキリがない。
これは人員不足からくる余裕の無さが招いているのか、そもそも先生の質の問題なのかはケースバイケースです
確かに危険を感じるような場合は、強く指示したり時に制圧は致し方ないかもしれません。
でも、自分の話を聞いてほしいってだけで命令形を使う必要があるのでしょうか??
やはり、ここにも先生達の心の余裕のなさが感じられますね。
1人で35人を1日怪我なく無事に預からなきゃいけない。しかも、決められたペース配分で授業や行事もこなしていかなきゃいけない。とにかく足並みを揃えさせなければならない。
だから、命令形を使う必要がないような場面でも強く言ってしまうのでしょう。
でもね、わたしの実感として今の時代そんな上から目線な言い方して話を聞く人はほとんどいないと思いますよ?
子どもだってプライドがあります。丁寧な扱いをしてもらえたら、丁寧に返そうとします。
まじめな子もいれば、横着な子もいるし、じっとしていられない子も、空想癖の子もいます。
ただでさえ毎日マルチタスクをこなして疲労感でいっぱいの子どもたちに、先生の余裕のない態度が追い討ちをかけかねないと懸念さえしています。
自己肯定感を向上させる!とか、子どもにも人権を!とか言ってる割に、やはり教育者の不用意な言動が多い事が気になりました。
もちろんそんな先生ばかりではありません。優しさと厳しさを兼ね揃えている金八先生みたいな先生もたくさんいますそういう先生に子ども達は救われていると思います
以前からブログにも書いていますが、わたしは先生達を敵に回すつもりはありません。
不登校について一緒に考えてくれたり、病院や保育園などと地域連携してくれたりと、いつも助けてもらって感謝していますし、我が子を理解しようと協力的な先生たちに恵まれて本当に幸運だったと思っています。
でも、これはわたしが行動したからです。
学校内で何が行われているかなんて、はっきり言って親御さん達には何もわかりません。わたしも子ども達が不登校になるまでは、全く分かりませんでした。
先生達が悪いとか、躾のなってない子どもが悪いとか、口うるさいモンペが悪いとかではなくて、1番問題なのは、それぞれが当事者意識が薄いことなのだと思います。
もっと学校教育について興味を持つことが大切だし、学校は先生にお任せの場所ではなく、どんどん親御さんも関わって行って良い場所なのだと思います。
もっと先生達と親御さん達の信頼関係が築けて、フラットに話ができるようになれば、学校はもっと風通しが良くなるのになーと思います。
さて、今日も学校に行ってから仕事に行ってきまーす
長文をお読みいただきありがとうございました