老眼。
もちろん、知っていました。
#年齢を重ねると近くのものが見えづらくなる。
#スマホの文字を離して見るようになる。
#小さい文字が読みにくくなる。
仕事柄、そんな記事に触れることもあります。
だから「老眼とは何か」は、それなりに知っていたつもりでした。
でも。
実際に自分の身に起きてみると、
私にとっての老眼は、ご飯粒がぼやけることでした。
ある日、ごはんを食べていたときのこと。
お茶碗を見て、
「あれ?」
と思いました。
ご飯粒の輪郭が、なんとなくぼんやりしている。
見えないわけではありません。
ただ、以前なら一粒一粒ちゃんと見えていたはずなのに、
なんだか白いかたまりに見える。
お茶碗を持った手を遠づけると見える。
食べようと近づけると、ぼやける。
……これか。
これが老眼か。
その瞬間、妙に納得しました。
老眼って、
「小さい文字が読めなくなるもの」
だと思っていました。
でも、実際の生活の中で最初に気づくのは、文字とは限らないんですね。
#ご飯粒だったり。
#爪だったり。
#化粧するときの自分の顔だったり。
最近は、スマホを見るときにも、
無意識に少し遠ざけている自分がいます。
昔、親世代が何かを見るときに腕を伸ばしているのを見て、
「なんでそんな遠くから見るんだろう」
と思っていたのに。
今、やってる。私が(笑)。
年齢による体の変化って、不思議です。
知識として知っていることと、
自分の体で経験することは、全然違う。
「近くが見えづらくなります」
という一文より、
「ご飯粒がぼやける」
のほうが、私にはずっとリアルでした。
そして、こういう小さな変化に気づくたび、
「ああ、ちゃんと歳を重ねているんだな」
と気づくので。
ちょっと不便。
ちょっとショック。
でも、ちょっとおもしろい。
最近は、
見えなかったら離す。
暗かったら明るくする。
必要なら老眼鏡に頼る。
以前と同じように見ようと頑張るより、
今の自分が見やすい方法に変えていけばいい。
そんなふうにも思うようになりました。
とはいえ。
食事中、お茶碗をちょっと遠ざけながら、
「ご飯粒って、こんなにぼやけるんだ……」
と思う日が来るとは。
若いころの私は、想像もしていませんでした(笑)。
これもまた、アラフィフ。
ひとまず今日も、ごはんはおいしくいただけています。
優秀な日のお昼ご飯。
