亡き母の事
こんにちは。今日は乙女の新月。そんな日に私の家族のお話です。8月12日は私の母の命日でした。(何故か・・・、あの日の事をここに書き留めたくなる衝動が湧きタイピングを始めている私です)母は36歳という若さで全身の癌を体験し、酒乱夫と5歳と3歳の子供を残し他界していきました。毎年母の命日は穏やかに過ごしていた私ですが。今年は・・・とんでもなく、母がなくなる瞬間がフラッシュバックして倒れそうでした。その時の5歳児の私が「まるで過去からやってきた」そんな強烈な日でした。母が他界したその日、その晩・・・、私は長野県の佐久総合病院の廊下にいました。廊下に出されていた「心電図」が母のものなんて知らずに、面白いものがあるなぁ・・・と思って眺めていたのを覚えています。弟がまだホントに幼かったという記憶とその病院の廊下の片隅にあった小さなベビーベットだけが何故か記憶の中に残されています。それから・・・まるで次元が飛んだように今まで閉まっていた病室のドアーがパーンと全開になり息を引き取った寸前の母の周りに親戚一同が泣いていました。え?いま・・・私はどこにいるんだろう?何が起こってるのか?母方の祖母が号泣しながら涙でぐちゃぐちゃになった顔で私に向かって叫びました。「もう!!もう・・お母さんて呼んでも お母さん二度と帰ってこないよっ!!」その瞬間大人のみんなが大声で泣いていたので私は「泣いちゃいけない!!みんなが泣いてるから私我慢しなくちゃ!!」って何故か思ってしまい・・・。そこからお葬式まで・・・記憶喪失です。それ以降お葬式まで、泣いたのか誰と何を話したか病院から家までどう帰ったのかさえ記憶が一切ありません。ただ・・・お葬式の夜・・・父が皆の前で大泣きしました。大人の男の人が、こんなに号泣してたのを見たのは最初で最後です。父はその後狂ったように・・・真夜中なのに、5歳と3歳の子供を連れて夜な夜な母のお墓の前に行って更に大泣きをしながら泣き潰れていました。そんな父はアルコール中毒になり私への虐待治療の為入院を繰り返しいつか父に本当に殺されるんじゃないかと毎日びくついて生きていました。生きた心地がしなかった。そんなある日それは私が私が13歳の春父が書斎でなくなっていました。死因は肝硬変。父が亡くなった時・・・私思ったんです。「良かった、これでもう普通に生活できる」って正直、ホッとしました。やっとご飯も普通に食べれる生活ができるって!!ホントに・・・父親の死を目の前にした子供としてこの感情を持ち続けていることは、さすがにヤバ過ぎると思いこの感情をずっと隠し続けてきましたが今日はふと「過去の私の解放日」としてここに書き留めておきたくなったので書き綴りました。父についてはまたこのコラムに書き綴りたいと思います。ただ私はこの父から受けた経験でミディアムになることが出来たんだなと思っています。中途半端になってしまいましたが・・・。また9月にコラムを書き綴ります。安斎妃美香via天国より~愛する故人からのメッセージをお届けします~ Your own website, Ameba Ownd