新居に移動してからかおりのご両親が昔使っていた40年前のステレオをいただきました。
SUNSUI ASP1200

音が良い。
どれほどの代物かは良くわかりませんが気に入っている。


車は89年のPAO
はじめはVWのTYPE2か1にしようとしたけど、保留中


いつかは欲しい



昨日は大正、堀江、四ツ橋と大阪だけでも3店舗、あと神戸・東京にもある
かっこいいお兄さんたちのやっているヴィンテージ家具屋さん
シャークアタックさんに行ってきました。


堀江4丁目は二階建て
四ツ橋は一階建ての中小物が中心
大正は4階建ての大中小物すべて扱っている


個人の家庭用にも、
お店の方も常連さんとして多いそうです。



今回はアメリカ物のステップ(小さな階段状の台)



吊り下げ型の丸いライト

を購入。



いつからこんなヴィンテージに価値を見つけて金を出すようになったんだろう。

機械系のヴィンテージも欲しいッス。


古いものを時を超えて今使うこと

古いデザイン

古いビデオ・車・オーディオ・本・自転車

なんでも古けりゃいいってもんではないんだけど・・・


う~む


いろいろ考えさせられる。



この人の墓には本人の遺言による希望で
「DON'T TRY」と彫ってあるそう。



さて世の中は選挙ですね。


選挙っていまやどれほどの意味があるのか、見えにくい。
皆与党になり首がさし変わったら、良くて激流にコントロールを失っていくか、
もともと自分の人生のために政治をしている馬鹿か、タレントの勘違いか。
まあそんなところでしょう。

選挙に行こうなんてことは脆弱な同じ失敗を繰り返す人の、一時的な力みのようで、
とてもまともな人間には言えません。

参加するなら、こいつらだけにはして欲しくないという意味で反対票を投じるしかない状況。

こんな政治に誰がしたって、みんなでしょう。

日々の生活の中での口だけでうわべ上戸で意思のない一票一票。
そのツケは日々大きくなっていく。
この世の中、選挙なんか行く前に、毎日誰に金を払うかの一票の方が大きな積み重ねで、
それがなければ国民ひとりひとりはもうやる前から負けているも同然です。
結果はどうあれ誰も勝ってません。全員負け。


自分の大学時代の知り合いが自分の大阪一区の候補者なんですが、
醜いものです。でも文句を言っているよりかは、若くしていい経験になるんだろうなあとは思いますが、すべては彼女次第でしょう。


国家、地方自治体、NPO、NGO
社会から見れば
NPOなんて身分保障と公僕でない公務員。
NGO=非政府組織 なんて文字のまま、わざわざ政府じゃないですよって言っています!という感じ。

自治って皆で自分たちで自制してセルフコントロールして営んでいくということ。
公務員はそれを給料もらって実労働と運営をする。決める、物申すのは皆でその代表が議員。
NPO、NGOは官でやるべきなんだろうけど官ではできない部分を別の組織でやってもらうという本来まさにオルタナティブで画期的なもの。公僕でない以外は公務員みたいなものだから行政は助ける。


日本は経済規模を縮小して民と官の差はほぼない実質皆公僕でない公務員と公務員、大きな政府=社会主義になっていくのか。それを望んでいるのか。



「DON'T TRY」

改まって力んでチャレンジするな、ふつうにやることやればいいだろ

っていうことだと思う。

それはそこそこ賢くないとできないことだと思う。






モートンフェルドマンはジョンケージに大きな影響を受け、ジョンケージもまた影響を受けた音楽家の一人。グリッドを用いたり、一定時間に奏する音符の個数を明記したりするなど、彼が世界で最初に発案したと見られる図形楽譜を用いた実験を行った。

しかし、フェルドマン自身は「結局は演奏家に好き勝手に楽譜を解釈され、自分の意図と違うものを聞かされる」事に耐えられず、70年代には図形楽譜の記譜法を放棄する。

現代音楽には革新を求める故の悩みがある。

それをどのように人生の中で発見し理解して意味づけしていくのか。その失敗を含む過程を聴いている。


モーティーは、ケージほどは作曲という行為を捨てきれなかったのかもしれない。
音楽に恋をすれば恋をするほど自分に陶酔して行くものなのかもしれないが、それは脆弱な恋で愛ではないのかもしれないが。


モーティーの音楽は「音は音でなく影である」
と行った発言のごとく、代表曲は音と何もならない時間もある。

沈黙を聴かせる。という点ではケージと同音異義語のような表現をしている。が彼のはまったく異次元だ。
音は沈黙の影。影は光がないと現れない。
もし影を生み出すとしたら光を対象物に当てることだ。
音が途切れた瞬間に沈黙という対象物が現れ、その後第三者的には音とされる影が現れる。



音は時間、沈黙は空間、データは空間、プログラムは時間。
音は影、沈黙は対象物、データは対象物、プログラムは影である。




好奇心が強い。

そんな発見を求め続ける彼。
そんな彼も震災に大きな影響を受けて地元の水戸へ。

地元に戻ることが素晴らしいのではなく、自分なりの発見をし続ける道をチャレンジし続けること。

ぼくの応援したいサッカーはそんな感じ。サッカーだから好きなわけでもない。
カメルーンのエトーも金を基準にすることは必ずしも間違いではないと主張し絶頂のバルサ→CL優勝のインテル→高額年俸のロシアへと渡った、独自の選択を続ける選手としてすごく面白い。
彼はカメルーンのサッカー協会とぶつかり代表愛はありながらも招集停止処分を受けていたのに、自国の家族や仲間・後続のためにお金を送るためにより年俸を出して自分を評価してくれるところへ行くという。確固たる意思と、ヨーロッパサッカーに呑み込まれず逆に利用しようとする聡明さ。
練習をサボるロナウジーニョも、イタリア代表の「ビッグクラブで普通の選手でいるなら小さなクラブで王様でいるほうがいいだろ」と開き直るプロヴィンチアの将軍ディアマンティも、自分が楽しくなければやる意味はないという社会的なものから自由であろうとする誇り高きサッカー選手だと僕は思っています。


まじめな選手も含めそれぞれ応援してます。







柿谷曜一朗めっちゃイケメンに見えるのはセレッソファンだけ????

前日とはまったく違う内容でスイマセン!!