大相撲の横綱として一時代を築いた
日本相撲協会の北の湖理事長(本名小畑敏満=おばた・としみつ)が
20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため、
福岡市内の病院で死去した。
62歳だった。
北海道壮瞥町出身。
元大関増位山(初代)が師匠の三保ケ関部屋に入門し、
13歳だった1967年初場所で初土俵を踏んだ。
「怪童」と呼ばれ、抜群の身体能力を生かした左四つからの寄り、
つり、上手投げを武器に当時の最年少昇進記録を次々と更新。
71年夏場所に17歳11カ月で新十両、72年初場所は18歳7カ月で新入幕、
73年初場所には19歳7カ月で新三役となった。
関脇で臨んだ74年初場所で初優勝を遂げ、
同年名古屋場所後、55人目の横綱に。
21歳2カ月での昇進は、今も最年少記録として残る。
その後の数年は、ライバル横綱の輪島と競い合い、「輪湖時代」と呼ばれた。
貴ノ花、若三杉(のち横綱2代目若乃花)らとも熱戦を繰り広げた。
現在の東京・両国国技館が落成した85年初場所限りで引退し、
一代年寄「北の湖」を襲名した。
通算成績は951勝350敗107休で、横綱在位63場所は歴代1位。
幕内での連続勝ち越し50場所も、
白鵬が更新するまで昭和以降1位の記録だった。
優勝24回は白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に続く歴代5位。
指導普及部長、事業部長などを歴任して、2002年2月、理事長に就任。
08年9月に弟子の大麻問題で引責辞任したが、12年初場所後、トップに復帰。
相撲協会の公益財団法人移行に力を尽くし、
相次いだ不祥事で低迷していた相撲人気の回復に努めた。
北の湖理事長は13年に大腸ポリープを切除する手術を受け、
今年7月の名古屋場所は腎臓に尿がたまる両側水腎症で
途中休場するなどたびたび体調を崩していた。
今場所は初日から出勤していたが、20日朝に救急車で福岡市内の病院に運ばれた。
(時事通信)