拙著『玉隠と岩付城築城の謎』では、築城詩「自耕斎詩軸并序」の読み解きにおいて、同詩序が引用した『詩経』の詩が重要な役割を果たしました。
最後の最後で、筆者である私を『詩経』の「百畝郷田」の詩に導いたのは「豳詩七月之情、温乎可想也」という一節でした。ここに登場する「豳詩七月」こそが、すなわち『詩経』豳風の詩「七月」です。
「百畝郷田」の詩と同じ表現を含む、いわば“兄弟関係”にある「七月」。
「自耕斎詩軸并序」の読み解きにおいて重要な役割を果たすこの詩を、できれば、拙著にもまるごと掲載したかったのですが、頁数圧縮の都合から残念ながら叶いませんでした。
そこで、このアーカイブブログにて、『新釈漢文体系111 詩経(中)』に基づき、「七月」の原文(ただし常用漢字に置き換えたもの)と通釈をご紹介したいと思います。
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七月流火、九月授衣、
(七月には移ろうなかご星、九月には冬着を授ける)
一之日觱発、二之日栗烈、
(一月には寒風さむく、二月には寒気きびし)
無衣無褐、何以卒歳、
(冬着も毛衣も無かったら、歳を越すのもままならぬ)
三之日于耜、四之日挙趾、
(三月には農具の手入れ、四月には田を耕す)
同我婦子、饁彼南畝、
(我が婦子とももに、聖田に初穂を捧げれば)
田畯至喜。
(田畯が今年の稔りを言祝いでくれようぞ)
七月流火、九月授衣、
(七月には移ろうなかご星、九月には冬着を授ける)
春日載陽、有鳴倉庚、
(春の日はあたたかに、鳴き交うは高麗うぐいす)
女執懿筐、遵彼微行、
(乙女は深きかごを取り、小さき道に沿うて行き、)
爰求柔桑、
(柔らかき桑の葉を摘む)
春日遅遅、采蘩祁々、
(春の日の長きことゆるゆると、摘み摘むは白よもぎ)
女心傷悲、殆及公子同帰。
(乙女の心は悲しみに暮れるばかり、できるなら公子(先祖のかたしろ)とともにいつまでも)
七月流火、八月萑葦、
(七月は移ろうなかご星、八月には葦を切る)
蚕月条桑、取彼斧斨、
(蚕月は茂れる桑、斧を手に取り)
以伐遠揚、猗彼女桑、
(遠き枝を刈り取れば、更に茂れる若き桑樹)
七月鳴鵙、八月載績、
(七月にはモズが鳴き、八月には麻糸紡ぐ)
載玄載黄、我朱孔陽、
(黒や黄色に糸を染め、ひときわ赤く染めた糸は)
為公子裳、
(かたしろとなる御方の袴にしよう)
四月秀葽、五月鳴蜩、
(四月には茂れるヒメハギ、五月には蝉の声)
八月其穫、十月隕蘀、
(八月には早稲を刈り、十月には庭漆の枝下ろし)
一之日于貉、取彼狐狸、
(一月には魂祭をし、狐狩り、狸狩り)
為公子裘、
(かたしろとなる御方の革衣にしよう)
二之日其同、載纉武切、
(二月には皆そろって、狩猟のけいこ)
言私其豵、献豻于公。
(小さき獲物は我々に、立派な獲物は御霊屋へ)
五月斯螽動股、六月莎鶏振羽、
(五月にはキリギリスが鳴き、六月には羽振るハタオリムシ)
七月在野、八月在宇、
(七月には野に鳴き、八月には軒に鳴き)
九月在戸、十月蟋蟀入我牀下、
(九月には戸口に鳴き、十月にはいつしか寝床で泣くキリギリス)
穹窒熏鼠、塞向墐戸、
(掃除して鼠を燻し出し、北窓に覆いして網戸を土塗る)
嗟我婦子、日為改歳、
(ああ、我が婦よ子らよ、もう年越しの頃)
入此室処。
(この部屋で新年を迎えよう)
六月食鬱及薁、七月亨葵及菽、
(六月には庭梅と犬葡萄を食べる、七月には寒葵と豆を煮て食べる)
八月剥棗、十月穫稲、
(八月にはナツメの実を打ち落とし、十月には稲を刈る)
為此春酒、以介眉寿、
(これで春の酒を醸して、皆の長寿を祈る)
七月食瓜、八月断壷、
(七月には瓜を食べ、八月には瓢を切る)
九月叔苴、采茶薪樗、
(九月には麻の実広い、苦菜を積んでしんじゅは薪)
食我農夫。
(農夫たちを養うために)
九月築場圃、十月納禾稼、
(九月には稲打ち場つくり、十月には五穀の取り入れ)
黍稷重穋、禾麻菽麦、
(餅黍、コキビ、晩稲、早稲、稲に麻に豆に麦)
嗟我農夫、我稼既同、
(我が農夫たちよ、刈り入れはすべて終わった)
上入執宮功、画爾于茅、
(これからは屋内の仕事、昼は茅を刈り)
宵爾索綯、亟其乗屋、
(夜は縄をなって、急いで屋根を葺き替えよ)
其始播百穀。
(種蒔く季節の始まる前に)
二之日鑿氷沖々、三之日納于凌陰、
(二月にはちょんちょんと氷切り、三月には氷室に入れる)
四之日其蚤、献羔祭韭、
(四月には氷室を開き、捧げるは子羊とニラ)
九月粛霜、十月滌場、
(九月には寒き霜降り、十月には稲打ち場を清め)
朋酒斯饗、日殺羔羊、
(皆を呼んで酒の宴、子羊を殺して供え物とし、)
躋彼公堂、称彼兕觥、
(御霊屋に参り、大杯を捧げ持ちて)
万寿無彊。
(一族の長寿を祖霊に願う)
それにしても、何と美しい詩でしょう。
秋風のもと、傾き始めたさそり座の一等星アンタレスを歌う。そして、古代の農民たちが勤しんだ季節の労働とその喜び、そして先祖への敬意と子孫たちへの温かい反が繁栄の願い。
素朴にして雄大、そして深い。
古来、中国においてこの詩が、人間社会の理想の形を描いたものとされたのも、自然と頷けます。
この詩を歌った古代の人々の想いを、私はとても近くに感じます。
