今日の深夜にかけて、東浩紀氏が、自身の授業を受講していたと思われる学生が自らのカンニングをツイートしたものを見つけて、それを東氏のツイートにリツイートして広げてある種の祭り状態になりました。
参考:東浩紀とカンニング問題
2ちゃんねるやブーム以後のmixiのように、匿名文化が広まっているインターネット社会の中で、
twitterやfacebookのように実名を公表してオープンにユーザーと交流する風潮が出てきたように思えます。
その一方で、非公開でなければ、全世界の人々にそのツイートが見られる可能性があるのです。
なので、東氏がそれをリツイートとしてその事実を広める、ということはごく自然なことです。
この件についていろいろと議論になっているのですが、
僕はここで思うのは、まだまだメディア・リテラシーが浸透していないんだろうなー、ということです。
ネットが登場して、あっという間に情報が拡散していきます。
その中で、書き込む前に、ふと「これを書いたことでどういう影響があるだろうか」と冷静に考えることが求められていくのでしょう。
友人同士の会話や自分だけの日記ならば、どんなに罵ってもそこでその罵りは消えるので、当事者がいない範疇ならば(その行為自体が推奨できるものではないが)、問題はないと思います。
ただ、ネットだと一生残ってしまう可能性が高いです。
まして、日常会話ではスルーしていることも、実は法律に違反していたり友人を傷つけることであれば、すぐに火がつくリスクがあります。
こういうときにメディア・リテラシーと言われるわけですが、メディア・リテラシーとは何ぞや、という疑問も拭えません。
僕なりの解釈ですが、
メディア・リテラシーとは、メディアを利用して発信するとき、自分の目の前に警察官や先生、書き込みに当事者がいるならその人がいて、
彼らに知られてもその人や自分に不利益は被らないだろうか、と一考することだと思います。
当たり前ですが、逮捕されたくなければ、警察官の目の前で犯罪は起こすわけありません(無論いなくても起こすべきではないですが、ここでは極論的表現として用いりました)。
ネットだと、あたかも目の前に世界中の人がいるような感覚なのです。
それを目に通すかどうかは別ですが、それくらいの覚悟を持っておかないと問題に察知できません。
まぁ、僕なりのメディア・リテラシーというのはメディア・リテラシーに限ったことではなくて、
常日頃の日常生活で、たとえ1人でも誰かに監視されていると考えていれば、真っ当な生活を送れるものだと思います。
